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バリ島 作られた神秘の楽園

私はインドネシアに7年ほど出向していましたが、世界的に有名なリゾート地、バリ島には数回行きました。
家族旅行で行ったのは1~2回でしたが、出張名目でインドネシアに来て、ついでにバリ島観光というのはよくあるパターンで本社の偉い人やらジャカルタの取引先を招待して行きました。
アテンドする側のポイントは、当時、公的な交通機関があまり無くて、タクシーも当てにならず、レンタカーも一般的でなかったので、いつでも行きたいところに行くための白タク業者を調達することでした。
彼らの1日の売り上げより少し多目の日当を保証して、朝からホテルの前に待機させました。
支払いは、我々一行を空港まで送った後、出発ロビーのソファで支払いします。
インドネシアのルピー紙幣は紙の質が悪く流通しているうちにぼろぼろになります。
特に100ルピー札は薄汚れて触るのも嫌という感じです。
私はいつも東京銀行ジャカルタ支店で新札の100ルピー札を100枚束にして、(それで1万ルピー=1400円ぐらいです)10束持っていきました。
白タクの運転手は新札100枚束がよほど気に入ったのか、私が行くときは電話一本で飛んで来てくれました。

バリ ヒンズー

過去、インドネシアには、いくつかの王朝が盛衰を繰り返してきましたが、古くは仏教、ヒンズー教に帰依した王朝があり、いずれも多神教で寛容な宗教であったので原住民に友好的に浸透しました。
ジャワ島中部の有名なボロブドールは仏教遺跡です。
15世紀末から16世紀初めごろ、マラッカ地方からイスラム教が伝わり非常に早く広がりました。
旧インドネシア社会は王政、貴族の存在など階級社会でしたが、神の前に全ての人が平等であることを説くイスラム教は新鮮な考え方として受け入れられたようです。
バリ島では、古くからあった原始的アミニズムにヒンズー教が融合して「バリ ヒンズー」という独特の民間信仰が成立していました。イスラム教も幾度か浸透を試みましたが、国民の90%がイスラム教徒になってもバリ島だけはヒンズー教徒の島として残りました。
(最近は、観光業の発達に伴って観光業に就職する目的でイスラム教徒の移住が多くなっているようです。)

ヒンズー文化が継承された、バリ島観光の目玉商品である、ケチャック、バロン、レゴンなどの舞踊劇は、インドの古い二大叙事詩「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」から荒筋を借りて居ます。
本来は神前で奉納するための行事で難解、単調であったものを、オランダ植民地時代に欧州から渡来した画家、演出家などによって庶民にもわかりやすい演出へと洗練された物が上演されています。

中でもケチャック・ダンスは異色で、楽器は一切使わず、50~80人ぐらいの男性コーラスの所謂「アカペラ」だけで進行します。
夕方になるとホテルからバスを仕立てて観光客が寺院前の広場に集まってきます。
広場をぐるりと取り巻くように段々の石造りの席があり、真ん中で篝火が燃えています。
突然、上半身裸のコーラスが現れ篝火を取り巻いて放射線上に座ります。
一列が7~10人ぐらいで篝火に向かってひまわりの花のように座りリーダーの発声で

「ケチャ」

という言葉を連呼します。

「チャッ、チャッ、チャッ、ケチャッ、ケチャッ・・・」

と圧倒的な声量で一糸乱れず発声して篝火の前に登場した王子、王女、大王、鹿の感情の起伏に沿って、あるときは静かに、あるときは激しく登場人物の感情を表現します。

ヌサドゥア地区

私が赴任した頃、インドネシア政府は、バリ島の観光業で外貨獲得を進めるため、外資を導入しインフラを整備して大規模な開発事業を始めました。
それまで、サヌール・ビーチやクタ・ビーチが賑わっていましたが、まるで下宿屋のようなホテルが多く、ヒッピーが世界中から来て安ホテルで長逗留するといったあまり外貨獲得とは関係ない状態でした。(私一人なら、「ヒッピーの聖地「クタ地区」で暮らすのも面白いかな」と思いましたが、家族連れではやる気になりませんでした。)

そこで、バリ島の南海岸に半島のように突き出したヌサドゥア地区に近代的なホテル群を建設しました。
最初に私が宿泊したヌサドゥア・ビーチホテルは、アプローチこそ伝統的なバリ島のつくりでしたが、中は完全な西洋風ホテルで、室内、水周りもヒルトンなどと変わりありません。
わずかにロビーの天井が竹の梁と茅葺の屋根を棕櫚縄で組んで、応接セットは民芸品の竹を編んだソファを置いたりしてそれらしい演出がしてありました。
今では、更に沢山の地区にホテルが建設され全島リゾート化が進んでいると思います。

ハルガ・ツーリース(観光地価格)

観光地といえば土産物ですが、バリ島の特産は、黒檀、紫檀のような高級木材に精密な彫刻を施した木彫り、ウブドウ村で集中的に作られている水彩画、久留米絣のようなくくり染めのシャツ(バティック)などです。
木彫りは、作る人の技術水準で価格は千差万別です。お店の店頭に並んでいるのは彫刻教室で言えばお弟子さんの作品で、幾らでも値切れます。2万ルピーと云われたら、五千ルピーからスタートして1万ルピーぐらいで折り合います。其処だけ見ればなかなか良い買い物をした感じですが、何回も行くうちに店の主人と仲良くなると、店の奥に案内されます。
其処には、当地の師範クラスの職人の木彫りがあります。ここでは値切るときにも覚悟がいります。人間国宝クラスの職人になれば、発注してから5ヶ月待ち、価格は数百万ルピーというものも有ります。
スハルト大統領でも半年待たされている職人さんが居るといいます。

次に、水彩画です。バリ島ウブドウ村の水彩画は花鳥風月と風景画が中心ですが、たとえば一本の木を書くとき葉っぱを一枚ずつ丁寧に書きます。水で薄く溶いた絵具を数回から数十回塗り重ねていきますが、名人なら塗り重ねるごとに立体感が出てきます。平凡な画家の場合塗り重ねても塗り絵のように平板なままです。
一枚書くのに数ヶ月掛かることもあって、その絵のコストは画家とその家族の数ヶ月分の生活費および画材の材料費+お店の利益ということになります。
これは芸術品というよりは工芸品の範疇になります。
(私の兄は自分でも油絵を描く趣味人ですが、一緒にバリ島を案内したとき、ウブドウ村に丸一日滞在して、50万ルピーの絵画を買いました。(と云っても邦貨7万円にしかなりませんが・・・)一番大事なことは、日本に持ち帰るときにスーツケースに収まるサイズであるかどうかです。

その昔、私の1年先輩がブルガリアのソフィアで魂を揺さぶられるような名画に出会ってその場で衝動買いして、運送会社に日本まで送らせたことがありましたが、配達されてみると、社宅の入り口が小さすぎて搬入できず泣く泣くキャンバスを少しだけ鋸で切って搬入したことがありました。
でもその先輩は最終的に当社の代表取締役会長にまで出世されましたので、「人間は感動する心」を持続ける事も大切であると痛感した次第です。
それにしても家に入らないサイズの大作を衝動買いする度胸といい、やはり先輩は大物なのでした。

土産物の価格については、一級の観光地であるバリ島が首都ジャカルタより高めに設定されていることは間違いありませんが、同じものを2倍の価格で買うのは抵抗があります。
インドネシア語にも「ハルガ ツーリース」(観光地価格)という言葉がありますが、コストは安いので、価格交渉のやり取りを楽しむのもバリ島観光の楽しみの一つです。
インドネシア語が出来る人なら指値の10分の一からスタートして半値以下に値切るのは常識です。売り手もコスト割れでは売らないので交渉決裂でも問題はありません。交渉決裂で出口に向かうと、

「スブンタール!」 (一寸待って)

と呼び止められて、やっぱり売りますということもママ有りました。

このように、政府主導で古めかしいバリ島ヒンズーから近代的観光地になったバリ島も行けば、人々の生活はのんびりしており、時間はゆっくり流れ、欧米や日本から訪れた観光客は再び訪れたいと思うようになります。

「ハンダラ ゴルフ&リゾート バリ」

椰子の木陰で、海風に吹かれながら何もしないで長いすに座っているという形のヴァカンスに慣れていない日本人は、すぐに飽きて、

「ゴルフ場なんかないの?」

と言い出します。
今では10箇所近いゴルフ場がありますが、当時は島の中央部の高台に一つだけありました。
「ハンダラ ゴルフ&リゾート」という名前ですが、ハンダラというのは、プルタミナ(インドネシア国営石油公社)の総裁、イブヌ・ストウォ氏の息子さんの名前です。
初代総裁にしてスハルト大統領との癒着が囁かれていたストウォ総裁が幾ら溜め込んでいたのかは判りませんが、退職後、ジャカルタ・ヒルトンを買い取ってオーナーに納まったことを看ると我々庶民では想像も出来ない額であったに違いありません。
後任者による会計監査で一流の会計事務所がチェックしましたが、証拠をつかむことが出来ず有耶無耶になりました。その後、プルタミナは大赤字に転落します。

ここで、一度だけゴルフをしました。貸しクラブで回ることにしましたが、私のキャディーを見るとどう見ても13~4歳ぐらいの女の子で、キャディーバッグを肩にかけるとバッグの底が地面につきそうです。
キャディーマスターに大丈夫かと聞くと、勿論大丈夫と請け合いますが、気になります。
少しでも軽くしようと、ドライバー、サンドウエッジ、パターの3本を抜いて私が左手で持つことにしました。
おそらくこの子は一家の中で最もお金を稼ぐに違いありません。
私が拒否すれば、朝早くから並んでやっとありついた仕事がなくなります。

ヒルトンをポケットマネーで買うストウォ総裁との絶望的な格差を思って、暗然としました。

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