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お酒と私

もし、この世にお酒が存在しなかったら私の人生は全く別物になっていたでしょう。

第一、「シーマロックス」という不思議な水に取り込まれてしまったのも、
「絶対二日酔いしない水があるんです。」というガンさんの一言が発端でした。

私が人生で最初にお酒を飲んだのは6歳の時だったといわれています。
私は覚えていませんが、父が懇意にしている骨董屋の人と自宅の2階で一寸した宴会をしていた時、6歳の私が父の周りをちょろちょろしていたので、うるさいと思ったのでしょうか、

「この子に盃いっぱいぐらい飲ますと踊るんだよ!」

と言ってお燗した日本酒を盃に注いでくれました。
確かに踊ったような記憶がかすかにあります。
勿論、母がカンカンに怒って止めさせたと云っていました。

次に小学生のころ、父の晩酌のビールを少し舐めたことがありました。
当時のビールは今のように洗練されていないドイツ風の苦みの強いビールだったので、

「まずい!2度と飲みたくない。」

と思いました。

中学生の時に、私一人で留守番をしていて父が大事に少しずつ飲んでいたサントリーの角瓶を一口だけ飲んでみたことがあります。
喉に強い刺激があって美味しいということではなくて何か大人が隠している秘密に触れてしまったという感じがしました。

その後、大学生になるまでお酒とは無縁でしたが、大学でアイスホッケー部に入って年に一度の「追い出しコンパ」では大いにビールを飲みました。
しかし入学の前年、父が亡くなって学費に困っていた私は年に1回その時にしかお酒を飲むチャンスはありませんでした。
第一、大真面目な体育会系スケート部ではシーズン中の禁酒を申し渡されていて飲めば退部勧告が出されました。

就職して営業部門に配属されお酒を飲む機会が一気に増えましたが、そこで自分はかなりお酒が強いことに気が付きました。お客さんとの接待がほとんどでしたが、

「今日は酔ってはいけない。」

と自ら言い聞かせて,所謂お酒を殺して飲むと酔うことはありませんでした。
初めて台湾に出張したとき待ち構えていた台北駐在員の体育会系の先輩が、夕食の宴会場に行く前に汚い居酒屋に立ち寄って、

「君は、お酒が強いと聞いている。これから行く宴会は我々を潰そうとして待ち構えているが、行く前にここでウイスキーかブランデーを1本ずつ飲んでいこう。」

と提案してきました。何のためにそうするのか全く理解できませんでしたが、この種の
しごきには慣れていましたから、

「スミマセン、ご馳走になります。」

と言って、ジョニーウォーカーの黒ラベルを1本頼みました。
先輩も同じものを1本頼んで、おつまみもなくそそくさと20分ぐらいで飲み終えて宴会場に向かいました。
途中道草を食ったわけですから少し遅刻していました。
台湾の合弁企業に本社から出向している社員との懇親会でしたが、長年の不慣れな、異国生活でかなりストレスをためています。

「イヤーよくいらっしゃいました!遅刻された人はとりあえず駆け付け3杯ということで・・・」

ということで始まりましたが、しばらくして先輩が、

「申し訳ない、実は取引先と急な商談があってここに来る前にウイスキーを1本づつ飲まされて遅刻してしまいました。」

とさりげなく告げて、宴席の熱気はほどなく静まりました。

 # 本物のアル中に出会ったモスクワ

ロシアのモスクワ駐在員として赴任した3年間で本当の酒飲みとはこういうことかとわかりました。第6話ではウオトカの飲みすぎで急性アルコール中毒専用の救急車が来てしまった失敗談も書きましたが、滞在中、特に冬期には四時ごろから日本商社の繊維担当者が押しかけてきて酒盛りになります。
仕事の上でもお酒は必修科目で、取引先の公団の窓口担当者に、

「今晩、ちょっと一杯行きませんか?」

と言って断られたことはありません。
状況によっては、贈収賄の疑いがかかるかもしれませんが、目の前のお酒を飲み干してしまえば証拠隠滅というわけです。
お店は、レストラン「プラーガ」、ホテル「ロシア」のバーなど一流どころです。
お勘定はハードカレンシーのドルで払うので、私はかなりの上客ということになっていました。結果として、赴任したその年から、年商70億円という一人駐在員としては記録的な成績を上げることが出来ました。

私のロシア語教師、ガンさんがいたルムンバ大学の寮でもよく飲みました。学生さんたちはお金がないのですべてお勘定は私持ちです。頭が切れることでは天才レベルのペーチキン君も酒豪で、2リットルの大ジョッキでアルコール度数15%に近いロシアのビールを16杯はお代わりしていました。彼は夏休みで帰郷した際、実家のある村の村長とトラブルがあって帰りにくいという話が出ましたが、輸出用の高級ウォトカ6本を持たせてやったところ実に円満に解決したといいます。

この国は、「ウォトカ本位制なのでした。」

モスクワの冬は市中でもマイナス40度Cになることがあります。ガソリンスタンドで給油していると、アルマイトのコップを持ったホームレス風の人がガソリンの給油スタンドの周りでウロウロしています。
ガンさんによれば、

「給油した後のノズルから垂れてくるガソリンをコップに受けて飲んでいるらしい。」
「勿論、有毒で緩慢な自殺行為ではありますが、喉をカーとする感じがあって其のあと朦朧とする疑似飲酒体験が欲しくてそうするのです。先は長くはありません。」

アルコールは命よりも価値があるのでしょうか。

私はアル中なのでしょうか?

こうして、インドネシアでも、帰国後担当したフィルムの子会社でも、本社の理事に返り咲いても、その後最後の子会社に出向してからでも、延々と飲み続けました。
使いようによっては、人間関係を円滑に保つ意味でかなり効果的ではありました。

会社の組織の中でお酒を武器に使う場合、大切なことは会社の交際費などを頼らず全額自腹で支払うことです。そうすれば部下の人達の支持は問題ありません。

ところで、私なりにアル中の定義を決めています。

1.目の前に酒があれば、朝からでも飲む。
2.お酒を買うためには生活費の破綻は気にならない。
3.無意識にお酒を入手している。

私は、

1.日のあるうちは飲まない。
2.飲まないと決めた日には飲まない。
3.ただし、飲み始めて途中でやめることは難しい。

これは、なんという病名でしょうか?   アルコール依存症??

実は先日、自転車に乗って買い物に行きましたが、帰る途中急に雨が降り出しました。
スピードを上げてハンドルを切ったところ自転車に跨ったまま横転し、肋骨を折りました。
それから3週間、家内から飲酒を禁止され今に至っています。

50年ぶりにお酒を止めてみると、

1.ダイエットしていないのに、3kg痩せた。
2.飲まないでも寝ることは出来ることが分かった。
3.何か張り合いがなくなって、毎日ダラダラ過ごしている。(コロナ過でもあります。)

これから、お酒との付き合い方をどうすればいいのか、誰か教えてください!

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