インドネシアでの生活
クトゥア エルテイ (町内会長さん又は町内の長老)
家族が日本からやってきて、家を1軒借りてジャカルタ生活が始まりました。
早速、黒田生活指導員の指導に従って、町内の「クトゥア エルテイ」(町内会長さん)に菓子折りと3万ルピー(7500円ぐらい)のお金を包んで挨拶に行きます。
眼鏡をかけた中年の男の人がニコニコして出迎えてくれました。
(お金や物を貰って、怒り出す人には会ったことがありません。)
「ジャカルタでの生活は如何ですか」等と聞かれているうちに、使用人の話になりました。
ジャカルタで、家を1軒構えると以下の使用人が必要になります。
「全部自分と家族で出来るから要らない」と言うわけにはいかないのです。裕福な(と思われている)外国人が溶け込んで受け入れられ安全に棲み付くためには、地元から雇用人を受け入れて、何がしかのお金を地元に落とさなければなりません。
1.女中(プンバントゥー)1: コキ(料理担当) コックが現地語に転化したもの。
これは、ピンからキリまであって、日本人の奥様の指示に従って、洗物や下拵えなどをするレベルから、ほとんどの日本料理が出来て若い日本人奥様より遥かに腕のいいベテラン料理人まで色々です。評判のいいコキは、日本人駐在員の間で取り合いになって高給取りです。いざ帰国というときになって、子供達から、
「ママ!、帰国までに、シスカ(コキの名前)から、あれとこれとは料理の仕方を教えてもらっておいてね!」
と念押しされてしまうケースは、良くあることで、奥様はインドネシア滞在中、コントラクトブリッジとテニスとゴルフに集中してほとんどの家事は女中任せにしていた付けが噴出します。
私の家では、家内が炊事は全部目を光らせていたので、若いコキが働いていました。かなり慣れた子でも、食器を拭く布巾で床を拭くぐらいはありなので、大変です。
2.女中(プンバントゥー)2: チュチ(洗濯と掃除担当)もともと「洗う」という意味。
若い女中さんが多く、中から賢い人は勉強してコキに出世していきます。女中さんは、住居費と食費はほとんど掛からないので、実家に給料を送金しているケースが多いのです。女中部屋は大きな家には必ず付いていますし、お給料のほかに、石鹸、砂糖、食用油、お米などが現物支給されます。(ご主人一家の食材に手をつけないようにという意味もこめられています。)女中さんは、仕事のほかに、自分たちの食事などは自炊します。
3.ボーイ(雑用係): プールのある家なら、プールの清掃管理、球が切れた電球の付け替えなど、日本人家庭では使いこなせないので、あまり雇うケースはありません。
4.ジャガ(不寝番): もともと「監視する」という意味で日没から夜明けまで、泥棒などに入られないように、寝ずに門を守る。又主人や奥様が車で帰宅すると門を開けて、車を敷地内に誘導する。
というのは建前で、ほとんど夜は寝ています。門と玄関の間の庇のあるスペースに、折りたたみ式のボンボンベッドのようなものを買わされました。
5.自家用車の運転手 : 家族用の車は、2家族に1台、会社が出してくれますが、運転手の給与は自己負担です。これを一日交替で使います。
以上、最も質素な家でも、住み込みの女中さん二人、ジャガ1人、通いの運転手と合計四人の赤の他人が家の中をウロウロするのです。日本人の若い奥さんは他人が家の中に常時いることに慣れなくて、最初はかなり疲れます。
クトゥア エルテイの話は、よく聞いてみると、彼の甥が仕事が無くぶらぶらしているので、ジャガとして雇ってくれないかというものでした。
彼は、この町内では、皆に尊敬されているので、彼の親戚の子が門番をしている家には、町内の泥棒は入らないことになっている、というのがお勧めの理由です。
(つまり、泥棒が入ると、「ジャガは何していたのか」ということになり、ひいてはクトゥア エルテイの面子が無くなる。そんな不義理を働く泥棒は、この町内にはいないということらしいのです。)
この国は、もともと農村が発展してできた国なので、村落共同体としての慣行が残り、大統領は国民の父であり、村長は其の村民の父であり、町内会長さんは、その町民の父で、困ったときには面倒を見てくれる代わりに、素直に云うことも聞かなくてはなりません。(あくまでも40年前の話です。)問題が起きれば、車座になってタバコを勧めたりしながら話し会って全員一致の結論が出るまで話し合いは止めません。(ムシャワラといいます。)
農村は助け合い社会で、大都市で失業して田舎に帰ると、食べるだけは面倒を見てもらえます。気候に恵まれて1年に3回お米が取れるこの国では国家財政が完全に破綻しても餓死者が出ることはありません。
ご町内に泥棒を職業とするものがいても、自分の家に入ってこない限り、誰もとがめたりはしないのです。
日本軍がこの島を占領して軍政を敷いたときには、この社会的構造を利用して統治をする方針を立てました。つまり江戸時代の五人組制度に良く似た制度で、エルテイ(最小行政単位)の長に警察権を与える代わりに、エルテイ内の治安については責任を取らせるというものです。「クトゥア」というのは、長老という意味です。占領軍は、住民に比べてあまりにも数が少なくそれ以外に統治の方法はありませんでした。
しかしこの仕組みはインドネシアの人たちには、物凄くしっくり来るやりかたとして、受け入れられました。日本の統治が終わったあともこの仕組みはインドネシア社会に残ったのです。日本帝国陸軍のもう一つの遺産です。(つまり親日家が多いということの他に・・)
でも、やっぱり泥棒が入りました。
私は、快く彼の甥っ子を雇いました。しかしながらやっぱり泥棒には入られました。それが真昼間だったので、クトゥアの甥っ子の責任問題にはなりませんでした。
其の日、私の本社の社長が進行性のスキルス性胃癌で亡くなって、海外合弁会社でも会社で追悼式が行われました。帯同家族も全員参加です。午後2時ごろ帰ってきますと、私の家の中から自転車を押しながら見慣れない男が出てきました。
私の運転手に、
「XXさんの家を探しているのですが・・」
といいながら、
「そんな人は知りません」
というと、一礼して自転車にまたがって走り去りました。
何か、違和感を感じながら家に入ると、娘のバッグが玄関においてあります。こんなところに何?といいながら明けてみると、娘のアクセサリーや置時計などが出てきました。
一仕事して帰りかけたら、我々が帰ってきてしまったので、身一つで逃げたらしいと気が付きました。私の書斎の机の引き出しの鍵をバールのようなもので壊してありました。
我々が帰宅したタイミングが早く実害はほとんどありませんでしたが、クトゥア エルテイに早速報告します。
駆けつけた、クトゥア エルテイは、事情を聞き、家の中をつぶさに見た後、次のように総括しました。
1.手口から見て、この町内の子ではありません。(其処まで判るんだ!!!)
2.貴方が私を呼んだことで、関係先への届け出義務は完了しました。警察に届ける必要はありません。警察を呼ぶと、数人来て指紋を取ったり、写真を撮ったりしますが、捜査費用は被害者持ちなので、彼らの日当も含めて、「正に泥棒に追い銭」のようなことになります。
3.取られたものが、現金なら、今日中に犯人が捕まってもお金は返りません。(捕まえた警察官が全部懐に入れます。)親の形見のようなどうしても取り返したいものがあれば、来週、泥棒市に出てくるので、買い戻してください。
本当に為になる助言でした。黒田生活指導さ員に後で報告すると、
「イヤー、その人の言う通りですな。なかなかしっかりしたクトゥアでよかった。」
と褒められました。
其の二日後、女中のバリアが、国に帰るといって出て行きました。
しばらくして、自転車に乗って走り去った男とバリアの顔が良く似ていたことに気が付きました。やはり兄妹だったのかな??
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