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お父さんと私⑪ 父が亡くなった日

明け方母から電話が来た。

父がもう息をしていないので、亡くなったと思う。今先生を呼んでいるので、実家に来てくれないか、という電話だった。

”理解”はしていたが、”受け入れることは難しい”

いや、昨晩はとても落ち着いて、”受け入れて”いた。だから、恐怖に襲われず、眠りについた。

”諦める”とは、”明らかに見る”こと。そんなことを誰かが言っていた。昨晩はそんな感覚だった。

けれど、母からの電話に私は涙がこらえられなかった。

電話を切ったあと、わんわん泣いた。


実家に着くと、看護士さんがもう着いていて、父の身体を拭いてくれていた。

看護士さんは私に気が付くと、持っていたタオルを私に渡し、腕を拭いてあげてください、と言った。

まだ、あたたかく、やわらかい父の手があった。腕だけ見れば、まだ生きている人とそう、変わりがなかった。

けれど、顔のほうは、もう動く気配すらなかった。目は半分開き、口は大きく空いてそのままだった。一生懸命、最期の呼吸をしたのだろう。

私はまた涙が止まらなくなった。母が、「お父さん、頑張ったよね」と声をかけてくれた。

私は自分がなんで泣いているのか、分からなかった。悲しいとか、寂しいとか、そういう感情だったのだろうか。今思い出しても、よくわからない。ただ、お父さんが死んだ、という事実に、泣いていたのだ。

母は葬儀の手続きに追われて、先生たちも帰り、父の遺体と私の二人が、書斎に残った。父の顔を見るたび、涙の波が押し寄せた。

この時、「耳は一番最後まではたらく器官である」ということをふと、思いだした。死ぬ間際、意識がなくても、耳だけは機能している、人の声を聞くことができる、と誰かが言っていたのを思い出した。

手があたたかい今なら、まだ届くかもしれない、そう思った私は、泣きながら父に言った。

「お父さん、ありがとうね」

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日記から

私の中の私へ

誰かに聞いてほしくて、あなたに宛てて書かせてください。

早朝、父が息をひきとりました。「悲しい」とか「寂しい」とか、そういった確かなラベリングはできない感情です。ただ、涙が流れるのです。

亡くなった父の顔は、魂が抜けてしまったように感じられ、「ああ、もう何も応えてくれないんだな」とすぐにわかりました。

母から連絡をもらって、泣きながらもすぐにかけつけ、息はしていませんでしたが、あたたかい父の手に触れました。

まだあたたかいのに、何も応えてくれない。動かない。この現状に、涙があふれ、わんわん泣いてしまいました。

その日に(母方の)おばあちゃん、(母方の)親戚のおばさんとおじさんも来てくれ、家の中は少し明るくなりましたが、私は父のことを思い出すたび、涙がこぼれてくるのでした。

この日の母は、とても強かったです。一番泣きたいだろうに、葬儀の打ち合わせや銀行のことなど、てきぱきと動きました。そして親類はそこにいてくれるだけで心強いです。

私は、とにかく学校に電話と、子供たちの夏休みの宿題を作ることはやっておかなくてはと、涙のあい間あい間に済ましました。

この日は父の顔を見ると、涙が止まらなくなりました。

ベット脇で手をさすったり、お腹にレイキしたり足をマッサージしながら父と話をしていたことを思い出し、思い出すと同時に次から次へと涙があふれてくるのです。

夕食には妹も帰省し、主人も実家に来てくれ、みんなで鍋をたべました。食欲などないかと思っていたけれど、不思議です。この日はみんなよく食べたのです。そしてよく眠ったのでした。

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お父さんと私⑫に続く

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