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障害者の意味【障害者の、きみがすきだ!.2021.6.10】


予防線で怒るママさんに「ヒステリックを治す方法」と朝からググってしまった人、どーもきよひとです。
 
おいらのうがいをする現場に遊びに来たイサネさんに、「イサネが真似したらどがんすっと!」っと怒りにきて、まだやってもいないことにさえ怒るってどゆことなの?そしてお願いだから朝から嫌な気分で始めさせないで…
 
『まぁいっか』『まぁいいじゃん』って寛容に大らかになってほしいです。。。
常に笑顔を大切にしてほしいっと心から願うのでした。
 
ママさんの顔面にテープを張り付けまくって強引に笑顔を作らせ生活させようかしら?常に笑顔でいたら怒らないでしょ?
 
それでも怒るようだったら逆に褒め称え諦めるしかない!笑
 
 
さてさて、今日は昨日の感情の部分での地続きといった感じで書き進めていきますです。お暇なときにでも読み進めてみてください。
 
これを読んでどこかのあなたが”人たらしめてくれたら”ぼくにとってはこの上ない喜びです。
 
ちょっぴり長いかもですが、ではでは…
 
 
▼意味ある人▼
 
障害者のことをどこそこかでは『チャレンジド』っと言ったりするそうです。
”挑戦するチャンスや資格を与えられた人”みたいな意味合いだそうです。
 
これに対して「勝手にそんなキラキラしたポジティブな意味を押し付けてんじゃねーよ、おれたちは苦しいことが多々あるねんぞ」みたいな声もあったのですが、いついかなる時もポジティブな働きにはネガティブな力が働くし、逆にネガティブなものがあるからこそこうやってポジティブな働きも生まれていくもんだなーっと思ってます。
 
価値観を統一することなんて不可能だと思うのでそこに感してどうってことはないのですが、ぼくは”意味を持たせる”って部分に関してはすごく大事だと思うし、いいことだなーっと思います。
 
『親』は初めて子供ができて『親』って意味をもらいます。
これを考えたら子供には感謝しかなくて、親が親として悩み、考え、生きれるのは100%子供のお陰です。
 
ぼく自身はイサネさんが障害を持ってたことにより『障害を持った子の親』にならせてもらいました。
 
少し特殊で特別な、数奇な運命の意味をイサネさんに貰いました。
予期せぬ形で予想だにしない”意味”をもらったのですが、今思えばある意味必然だったのかもしれません。
 
少しぼくの過去を話せば差別や偏見まみれの人間だったからです。
『将来障害を持った子が生まれてきたらどうしよう?障害の中でも”知的障害”は特に育てる自信がない…』っと幼いながらに差別にまみれ恐れてました。
 
 
そんな”私を私たらしめてくれた”、つまり”人を人たらしめてくれた”存在がイサネさんだとぼくは感慨深く思います。
 
 
イサネさんとの出会いがなければ、ぼく自身は未だに差別や偏見にまみれ、障害を持った方に目を向けることなどなく、福祉などには一切目をくれなかったと自信を持って言えます。(こんなことに自信を持つな!タコきよひと!タコヒト!)
 
この世界はこんなぼくにイサネさんと障害と出会わせてくれたんです。
そして、差別や偏見にまみれた弱いぼくを人として正してくれました。
こんなにも大きな大きな意味を授かりましたことは、感謝しかありません。
 
 
ぼく自身が意味を”貰った”と言うことは、イサネさんにも意味があるんだとぼくは思います。
 
どこかの誰かが”チャレンジド”っと意味を持たせた?持たせたい?ように、そういった風にぼくも”障害”には意味があるんだと思います。
 
”私が私に”なれたように、また沢山の人を”人たらしめる”意味がそこにはあるんだと思います。
 
そんなことを思うからこそ、ぼくは沢山の人にイサネさんを見てほしいと強く思ったりするんですよね。
 
こんなことを言ってたら「父親(男)はすぐこうやって夢を語って…、そんな大それたことを言わずに目の前の我が子にできる支援をしてやれよ」みたいなことを言われたことがあるんですが、ぼくは一番の支援はここなんじゃないかな?っと思ったりします。
 
我が子だけに目を向けた支援(視野)を少し広げてるだけで、結果その広げた視野が我が子の為だと思うんですね。
 
 
みんながプロ野球選手になりたいと願えば叶うかと言えばそうではなく、どんな名監督に習ってもなれない人はなれません。
 
残酷なことはあまり言いたくありませんが、障害を持った子が名支援者に支援してもらったからと言って、全員が全員”普通の生活”を送れるとは限りません。
(くれぐれも”諦めろ!”といったメッセージを伝えたいんじゃないです)
 
”自立”とは一人で生きていくことではないとぼくは思います。
 
厳密に一人で生きていくことはこの世界では不可能ですし、そこに向けての”支援”ではなく、いかに助けてもらえる存在になるか?を支援として作り上げていった方がいいと思います。
(もちろん最低限の生活をできるようにする支援は大事なんてことは重々承知してますので、「今の支援が全て無駄だ!」なんてことではないですよ!)
 
その支援の一つこそ”意味を持たせる”なのかなーっと思ったりします。
 
そして意外や意外、その意味は簡単にも”知るだけ””見るだけ”でも生まれたりするんだと思います。(その見知る機会が本当に少ないんだけどね!だからだよ!)
 
 
子供は障害というものを言葉で理解するのはやっぱり難しく、実際に自分の周りにそんなお友達がいることで考え、学び、時に怒り、育んでいくものがあるんだと思います。
 
大人だって、実際に見ることでその意味を自分で感じ見つけ、見出すものがそこにあるんじゃないかと思います。
 
 
繰り返しになりますが『私が私になれた』ように、『人を人たらしめる』意味がそこにあると思います。
 
そして、私が私になれたのは間違いなく私一人ではなれなかったことですし、そういった意味でも一人で生きるなんておこがましく、障害を持ったイサネさんにも大きな大きな意味があるんだと思います。
 
 
障害に意味を。
障害を持った方々に意味を。
 
この意味を価値にしていきたい。
色んな形でこの意味を価値を、届けていきたい。
 
その先に障害を持った子や方々が生きやすい世界があると信じて。
 
 
『障害者の、きみがすきだ!』
2021.6.10
 
 
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