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万博記念公園の国立民族学博物館へ

人事課から年内に有給休暇を5日間分取ってくださいというリマインダーメールがまた来たので、不足分の3日間の有給休暇を取った。ちゃんと取らないと人事課の人の仕事を増やすことになる。仕事が溜まっている。溜まりすぎてどこから手を着けていいかわからない。どのみち家で仕事だなと思っていたが、せっかくの休暇なので思い切って万博記念公園国立民族学博物館に行った。訪れるのは何度目だろう?万博記念公園も国立民族学博物館も大好きだ。非科学的な話だが、あの空間に漂う「気」が爽快なのだ。

梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」

国立民族学博物館に行ったのは「梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」を見るため。フラッシュと三脚は禁止だが、写真撮影はOKだった。

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梅棹忠夫は「こざね」と呼ぶ小さな紙片を使って発想を構想をまとめた。1枚に書くのは1項目、それをテーブルに広げ、並べ替えて文章を組み立てていく。

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そして後に「京大型カード」と呼ばれるようになるB6版の情報カード。これも1枚1項目。梅棹忠夫は『知的生産の技術』(岩波新書)の中でカードシステムについて「わすれるためにかく」「分類が目的ではない」「いちばん重要なことは、組み替え作業である」と述べている。

梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」では、梅棹の残した膨大な資料をデジタル化したデータベースを検索することができた。いつかネットで自由に検索できるようになるとよいが。

電子書籍とオーディオブックでも読める『知的生産の技術』

『知的生産の技術』(岩波新書)は1969年(昭和44年)の出版、100刷に達しているという。昭和44年といえばパソコンはもちろんワープロ専用機すらない。ようやくタイプライターが出てくるくらいで、機器については時代を感じさせる。しかし、本書で述べられる情報の整理とそれに基づく「知的生産の技術」については全く古びていない。
岩波新書の電子書籍化が進行しており、『知的生産の技術』も電子書籍で読める。音声の方がよい場合は『知的生産の技術』のオーディオブックもある(audiobook版『知的生産の技術』、Audible版『知的生産の技術』

電子書籍で横断検索できる『梅棹忠夫著作集』

『梅棹忠夫著作集』(中央公論新社)も電子書籍になっている。思い切って全23巻を購入してKindleに入れてある。Kindleはスマートフォンアプリもパソコン用アプリもあるが、Kindleの専用端末(E Inkの白黒画面の専用機)にダウンロードした。
このKindleの専用端末、ダウンロードした書籍の横断検索が可能なのだ。書籍の枠を越えた横断検索はKindleのスマホアプリやパソコンアプリの方ではできない。検索用インデックスを作るのに数日かかるが、インデックスが完成すると『梅棹忠夫著作集』全巻を横断検索できるようになる。

梅棹忠夫が今の世に生きていたら

梅棹忠夫が今生きていたら、きっとTwitterを使っていただろうと思う。折々につぶやいては、後でTwilogでまとめていたに違いない。
写真やスケッチを得意とした梅棹忠夫、きっとInstagramもやっていたのではないかと思う。
もちろんTwitterもInstagramもハッシュタグを活用して。
EvernoteかOneNoteも使っていただろう。いろいろな情報を入れておくカードケースとして。
梅棹忠夫は晩年原因不明の病気で視力を失ったが、スタッフの助けを借りて精力的に著述を続けた。もし今なら音声読み上げや音声入力があるので、きっと使っていただろう。

梅棹忠夫が生きた時代には技術が梅棹のアイデアに追いついていなかったが、今もし梅棹忠夫が生きていたら、電子書籍化され全文検索ができるようになった自分の著作集を見て、どう言うだろう?

梅棹忠夫の残した文章を読んでいると時々「当たり前」のことが書いてある。ただ、その文章が発表された年を見て愕然とする。この時代にこれが見えていたのか!という衝撃を受ける。
梅棹忠夫が1970年代に構想したものの未完のまま終わった書籍の題名は『人類の未来』、今の世に梅棹忠夫が生きていたら、人類の未来について何を言うだろう?


オタクな中国語教員。日本語母語話者向けの中国語初級教材をPDFとEPUBで作っています。