感性を鈍らせると老けるという話
Apple Musicをザッピングしていて気づいたのだけれど、新しく「クラシックロック」なるジャンルが生まれていた。カテゴライズされていたのは、The BeetlesやThe Rolling Stones、Elton Johnなどのレジェンドだ。
アラサーの僕でも一度は聞いたことがあるし、一度はハマって聞いていた時期もあるくらい身近なアーティストなのだが、まさか「クラシック」扱いされていたのには驚いた。
もちろん「クラシック」であることは全くダメではないし、僕もオーケストラや管弦楽曲といった以前から存在する「クラシック」を聞く人間なので否定することもない。
しかし、近年は音楽からも遠ざかっていたりして、気まぐれで音楽でも聞いてみようかなど選曲するとやはり聴き慣れたアーティストや楽曲に落ち着いてしまうことが多い。
そして、ありがたいことに優秀なアルゴリズムは似たような世代のアーティストをレコメンドしてくれる。そのおかげで、気づくと聴いている楽曲は5年前と全く同じという現象が起こる。
これが5年ではなく10年、20年とあっという間に時が過ぎると見事、時が止まった一人の「おじさん」が出来上がる。
※注:ここでいう「おじさん」とは、男性に限った話ではなく概念としての「おじさん」を言う。
何もこれは音楽に限った話ではなく、スポーツや服装といった日常生活だけではなく、仕事の仕方などいろんな物事にも言えることだと思う。
そして全般に言えることは、「古い」=『悪い』、「新しい」=『良い』ではないと言うことだ。
古典などには長年受け継がれてきた王道や普遍的な良さというものが存在するし、逆にどの年代でも参考にされてきたので今日まで存在し続けているということが言える。
ただ、古きを知っているだけでは自分のコンフォートゾーンから抜け出していないと言うことで、古きを知り、新しきを知った上で、古きに戻ると良さがわかるというものだと思う。
そうでなければ、『昔は良かった』といつも昔の話しかしない、ただの懐古主義者になってしまう。
「古」⇄「新」の往復、価値観の揺れ戻しが終わった人にならないためには必要ではないだろうか。
長々と書いたが、新しいもの、未開拓のものを意識的に取り入れないと気がつかない間に老けてしまうという危機感を覚えたという話でした。
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