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Chennai Days - 6

もやもやすることがあった。
きっかけはものすごく些細なことだった。本当にどうでもいいことなのに、変にこだわってしまって、今後の人間関係とかも考えてしまうほどネガティブな気持ちになってしまった。他の人からしたら全く気にもならないようなことで、それだけに、その程度のことで感情を揺さぶられている自分が情けなく、相乗効果でさらに気持ちが落ち込んだ。

昨晩、新しい日本人スタッフが赴任してきたため、到着の時刻に合わせてアパートまで挨拶に赴いた。
次の出勤日についての打ち合わせをざっくりとして、すぐに帰宅することになったのだが、階下の駐車場でインド人のAに声をかけられた。彼は新赴任者のドライバーなのだが、もともとは3月に帰任した日本人スタッフの運転手をしていた。
スタッフの入れ替えのタイミングで1ヶ月ほど仕事にあぶれた状態だったので、春休み中はぼくが何度か彼を雇って小旅行に出かけており、ぼくと年齢が近いということもあって、彼とは仲良くなっていた。
ちょうど空港からの送迎が終わり、ドライバーのAもバイクで家に帰るところだった。彼はいたずらっぽい目で「後ろに乗ってみないか」と言った。なかなか魅力的な提案だった。
夜になっても心のもやもやは残っていて、ビーチでも散策しようと思っていたのだが、インドの混雑した大通りをバイクで走り抜けるのは最高に気持ちよさそうで、ぼくは彼の申し出を受け入れることにした。そして、バイクの後ろにまたがった。当然のようにノーヘルだった。

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交通ルールなんてあってないようなインドのことなので、日本人のぼくが自分でバイクを運転するのは非常にリスクが高い。東南アジアの都市部とは違って、南インドではバイクタクシーはほとんど見られない。だから、インドの大通りをバイクで走り抜けるのは貴重な経験だった。
バイクは風を切るようにして疾走する。バックシートで体感する夜風は、とても気持ちよかった。ねっとりと素肌にまとわりつくような湿度の高さだが、バイクに乗っていると、不快な粘り気もすぐに後ろの方へと飛んでいってしまう。夜になって活気を帯び始めた路面店のネオンや、真っ赤なテールランプに彩られた大通りを走った後、バイクは路地に入ってビーチに出た。

闇に包まれたビーチでは涼んでいる人がたくさんいた。優しく潮風が肌を撫で、単調に繰り返す波の音が心を落ち着かせる。まるで夜の海のように、心が凪いでいくのを感じる。
旅行記の名作『深夜特急』の中に、ガンジス川を渡るフェリーの上で、イギリス人の旅人が「Breeze is nice」と呟くシーンがある。カトマンズから満員のバスと鉄道を乗り継ぎ、30時間にも及ぶ強行的な移動の末にたどり着いたフェリーで、思い切り手足を伸ばせる幸せを噛み締めながら、沢木氏はこの言葉を聞いたのだ。
まさに、Breeze is nice だった。
彼が経験したような過酷な移動をしていたわけではない。それでも、一日中こわばっていた心がほぐれていくような気がした。

夜のビーチでは映画の撮影もしていた。
チェンナイは映画産業が盛んなだけあって、生活圏内で撮影現場に遭遇することがたまにある。ぼくのアパートの近くには映画の専門学校があるようで、学生たちが機材を抱えている姿もよく見かける。

Aがビーチの端でバイクを止めた。
近くにシーフードの屋台があって、「何か食べよう」と言う。ぼくはお金を持っていなかったので断ると、「何を言ってるんだ。俺が払うんだよ」と彼は返した。
彼の言葉に甘えて、エビと魚を焼いたものをご馳走になった。
外でシーフードをつまみながら、彼と話をする。インドの旅行の話や彼の家族の話、前の雇用主の愚痴なんかもあった。

「パニプリを食べたことがあるか」と彼が唐突に言った。
インド人にとても人気のある軽食で、ビーチではそこら中にパニプリの屋台がある。前々から興味はあったのだが、際立って美味しそうということもなかったので、食べる機会はなかった。
「いや、一回も食べたことないな」とぼくは答えた。
「よし、次はパニプリを食べよう」
彼はぼくをパニプリの屋台へと連れて行った。

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揚げた餃子の皮のようなものの中に、ジャガイモと玉ねぎ、パクチーが入っている。そこに、正体不明のスープを流し入れて、スープがこぼれないように一口で食べきる。
彼が最初に食べ方の手本を見せて、それからぼくも口に運んだ。中に注ぎ込んだスープは、インドでよく口にするようなやや酸味のある味だった。あまり深みのない味で、まずくはないのだが、いくらでも食べたいとまでは思えなかった。ただ、Aと店主がキラキラした目でぼくを見つめているので、親指を立てて「グレイト」と言っておいた。
その後、謎のスープの代わりにヨーグルトを入れたパニプリも食べたのだが、そちらは程よい甘さがあって美味しかった。

パニプリを食べ終えると、今度は「sand crab を食べたことがあるか」と聞いてきた。ビーチには5cmにも満たないくらいの小さなカニがたくさん生息していて、おそらくそのことを言っているのだろう。
人が通ると素早く砂に潜り込む、そのカニのことを食料だと認識したことは一度もなかったので、当然食べたことはなかった。
彼は「じゃあ、次はsand crab だな!」と元気よく言って、小汚い屋台に向かった。スナガニのタミル語での呼び方も教えてもらったが、忘れてしまった。

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彼はついでに謎の白身魚も買って、スナガニと一緒に食べた。小さなスナガニは甲羅ごと食べることができた。スナック感覚で手軽に食べることができるのだが、塩気とスパイスが強すぎて、ひたすら喉が渇いた。そうしたら、彼がインドのサイダーを買ってくれた。日本のラムネと同じような形状の瓶詰めで、さらにビー玉で栓がしてあるところまで共通していた。味はジンジャーエールのようだった。
よく分からない焼き魚も、皮の部分に同様の味付けがされていたが、中身は日本でもよく口にするような白身魚の味で美味しかった。
「インド人は魚の骨も食べるんだ」と、嘘か本当かよく分からないことを言って、彼は骨までバリバリと食べた。ぼくも真似してみたが、上顎に骨が刺さって痛かったのですぐにやめた。彼はついでに頭も食べていて、お皿の上に残ったのは小さな頭蓋骨だけだった。
海に集う人々を見ながら、彼は言った。
「こうやって夜のビーチに集まるのは貧しい人たちなんだ。家にいるよりもビーチは涼しいし、こうやってリラックスできるからね。俺は今はドライバーの仕事をしていて忙しいけど、5年くらい前まではよく友達と海に来て、ぼーっとしていた。夜の海はいいね」

そんな感じで1時間くらいは経ったと思う。アパートに帰ってくる頃には、すっかり心が落ち着いていた。
ぼくが落ち込んでいたことは知らなかったはずだが、夜のツーリングに誘って、いろいろなものをご馳走してくれた彼の優しさに感謝である。

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