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【映画鑑賞記録】ヴィム・ヴェンダースとロビー・ミューラーと小津安二郎

1990年代半ば、何かに取り憑かれたように毎晩「パリ、テキサス」を食い入るように見つめ続けた日々があった。それもトラヴィスとジェーンの鏡越しの会話のシーンだけ。「I knew these people… these two people」から始まるトラヴィスの独白は暗記までした。僕もこんな風に、君に過去の過ちを伝えることができたなら。そんな思いで僕はこのシーンを何回見返したことだろう。100回は下らないと思う。

ほどなくして「リスボン物語」を日比谷シャンテで観ることで、ヴィム・ヴェンダースは僕にとって最も特別な映画監督の一人になった。でもそれ以降のヴェンダース作品は余り見ていない。「エンドオブバイオレンス」を見て、ストーリー自体はそれなりに興味深いとは思ったが、今思えばカメラマンがロビー・ミューラーでなくなったこの作品を境に、興味が薄れてしまったような気がする。

「緋文字」「左利きの女」「まわり道」「東京画」を立て続けに鑑賞した。いずれも未見のヴェンダース作品。正直ピンと来ない作品ばかりだったけど、カメラワークだけはやっぱり特別だった。F11~F22で撮っていたという被写界深度の深い映像はある場面においては非常に特徴的で、写真を撮るものとして刺激を受けた。

「東京画」のカメラマンはロビー・ミューラーではない。ヴェンダースのドキュメンタリーが余り好きじゃないということと、小津安二郎にも思い入れが無いことから興味を持てない作品だった。そして興味を持たずに見逃してきたことを深く後悔するほどに「東京画」は素晴らしい映画だった。

「東京画」には僕の撮りたい「日本」がそこにあった。異邦人が見つめる日本。僕にとっては何の特別感も無い、既視感に溢れた世界がなぜこうも異質な映像として記録されるのだろう。そのマジックは種明かしがきっと難しいのだろうな。撮ってる本人には既視感が無い景色であるということがやっぱり重要なのだろうか。

そしてもしかしたら僕は小津安二郎の影響を少なからず受けているかもしれない。そんなことも意識させられた。僕は立っているモデルさんに対してしゃがんで撮影することが多い。「東京画」の映像には小津作品からの流用が多いのだが「低位置のカメラアングル」の映像を見てハッとした。

小津安二郎は頑なに50mmレンズにこだわっていたようだ。僕が人物撮影をする際、2台のカメラに一つは85mm、もう一つは50mmという装備で臨むことが多いのだけど、正直50mmには苦手意識があった。小津安二郎の作品も何本か見てはいるが真剣に追いかけたことはなかった。改めて小津作品を追ってみるのも面白いかもしれない。



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