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【極私的写真論】人間を撮るということ

意識的に「ポートレート」とか「ポトレ」という言葉をなるべく使わないようになった。「人間を撮影する」という行為の定義を著しく狭める専門用語・業界用語のように感じられるからだ。僕が撮りたいのは「ポートレート」ではなく「人間」だ。

だから、過去にも何度か同じこと書いてるけど、被写体は別に若い女性である必要は無い。「ヨレヨレおっさん撮影会」とか「井戸端おばさん撮影会」とかあるなら是非とも参加してみたい。しかしそれは余りにも需要が少ないのだろう。そんな撮影会は見たことがない。若い女性の方が撮影機会を得やすいのである。

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初めてカメラを手にした2015年、何を撮りたいのか目的も曖昧なまま、とりあえずスナップ写真を撮りまくった。それはそれで楽しい体験だったが、どこか物足りなくもあった。それよりも一緒に飯食いに行ったり飲みに行ったりしたときに仲間を撮影することの方が遥かに楽しかった。何気ない日常がとてもドラマチックな形で記録される。それはまるで映画のワンシーンのように。

それが僕の「人間を撮りたい」という欲求の原点なのである。「映画が好き」という元々の趣味と、なんとなく手に入れた「カメラ」。この二つの接点を見出した気がした。

そして何度か試行錯誤を繰り返すことでやっとわかった。映画と同じようなアウトプットを実現するために、映画と同じプロセスを経る必要は無いのだということに。

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そのヒントは大阪カメラマンの「もう盗撮でいい気がするんですよ」という冗談交じりの発言だった。「盗撮」なんて言葉は物騒だけど「階段やエスカレーターの数段下からカメラを構え、スカートのインサイドを激撮する」というような犯罪行為を意図していたわけではない。街角で見かけた名も知らぬ人物のちょっとした所作や表情をこっそり撮影する、という意味だ。

そういう定義を前提としてなぜ盗撮が良いのか。彼らは「自分が撮られている」という意識を持っていないからだ。カメラを意識していない。それは僕がモデルに毎回お願いしていることだ。

だからこれからは盗撮カメラマンになるぞ、という意味ではもちろん無いのだけれど。

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数年ぶりに「おっさんレンタル」から被写体依頼を出してみた。前回のへいさんとは別のおっさんだが快諾してくれた。場所は諸事情により浅草となった。撮影スポットとしてはありきたりだが楽しみではある。

この投稿の写真は全て、カメラを入手した2015年に撮影したもの。当時はRAWで撮影する発想がなかったので全てJPEG。なのでクロップ以外の調整は何もしていない。

だから何?って感じだけどね。ノーレタッチとかJPEG撮って出しとか、後処理は楽そうだけど撮影現場での設定の追い込みが面倒臭そうだなあという印象しかない。





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