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【D/H】私のバリ舞踊との出会いの話 〜デ・ポン!〜

私とバリ舞踊の出会いは突然。
(私の活動や経験はほぼいつもそうだけど)

とある番組に出演することが決まりそれがバリ舞踊のコーナーだった、というのが最初の出会いです。

素晴らしいスタッフの方々が作られたそのコーナーはユニークで新しくてちょっと不思議で少し神秘的であたたかい、可愛らしい優しいものがぎゅっと詰まっていて。言葉でなく様々なものになることで会話をするような。そのテーマは私にはとても素敵なものとしてこのような解釈で入ってきました。

 自然界には美しいものがたくさん。
 花が咲き、蝶が舞い、雨が降り、波が遊ぶ。
 日が昇り、星がまたたき、草原には樹が揺れる。

 私の風は、木々は、動物たちはこんなの!
 みんなのは?

わお。
幼い頃から踊りを自分の言語のように感じて育った私は
わくわくしました。

その番組は小さなこどもたちに向けたもの。ですのでコーナーはバリ舞踊そのまんまというわけではもちろんなく音楽も動きも衣装も決まりのポーズもオリジナルに考えられたものですが、身体の動きや根底に流れているものは全てバリ舞踊をベースにしてつくられていました。
その動きの不思議で可愛らしいこと!
こどもたちに自由に感じて遊んでもらうようにするためにはベースになっているものを理解してそのものにならないと!と私はバリ舞踊を学ぶためすぐに振付の先生のところへ通い始めました。


私がそれまでやってきていた踊りはバレエやジャズ。西洋の踊りとバリ舞踊のようなアジアの踊りでは身体のポジションから使い方まで全く違います。最初は戸惑うばかりのスタートでしたが、それまでの感覚は一度脇に置いて。

音に合わせて様々に表情をつけて目を動かすというのも初めてのこと。それがバリ舞踊の特徴の一つですが、目や表情に振付があるなんて!そんな踊りがあるなんて!驚きの連続。最初に覚えることになった動きの一つです。(ちなみに人差し指を立てるポーズはバリ舞踊にはありません。コーナーオリジナル。それならみんな一緒にできますものね。実際には手の平を正面へ向けて指をひらひらさせながら踊ります。)

※当時のインタビューなどでお話ししたり記事になってきている話なので裏話というようなものではないのですよん。ここをお話しないと関わりが書けないと思いましたので。



もう今はバリ舞踊から離れている私ですが、収録の合間を縫いながら通い続け、番組を卒業した後も続けていました。トータル10年間!
それはその先生の魅力によるところが大きかったのも理由の一つ。

その先生は日本でのバリ舞踊の先駆者の一人であり屈指の踊り手である方でした。留学時代の話などはどれもが驚きと面白さに満ちていてアジアに縁の薄かった私には新しい世界。今はなきバリ王宮時代の最後の踊り手から名うての踊り手・演奏者たちとも交流があり、踊りや音楽の仕組みやガムランや国の歴史にも精通していて。踊りだけではなくバリについて学ぶことができたのはコーナーを担当する上で本当に軸となった大事なことでした。
と同時に、考え方や生き方も心豊かに地に足をつけてしなやかに生きているその先生には踊りのことだけでなく多くの影響を受けました。

*

さて。
バリ舞踊も、ガムランを主体とする音楽も、バリの芸能はすべて自然からインスピレーションを受けて作られています。学べば学ぶほどに、日常の中で目にする自然の美しさを感じるようになり、その自然の様々になってみることを想像することが楽しみになっていきました。
私の今日の雨は、、今日の風に揺れる樹は、、。
バリの踊りが、音楽が、空気感が、そのものが、身体に感覚に浸透していくにつれて自分の中が少しづつ色がついていくようで。その日ごとの目の前のこどもたちと会話して笑いあって一緒につくっていくことも同じことかと思うようになったのは今の活動にも生きていることです。

決められた作品をその場の空気でセッションのように踊っていくバリ舞踊(踊りや表現というものはどれも皆同じですが特に感じることがたくさんありました。それについれはまた別の機会に)を肌で感じることは新たな経験になっていきました。

レゴンラッサム・ランカップ

この写真は、バリ舞踊のレゴンという踊りのひとつ「レゴンラッサム・ランカップ」という作品を踊った時のもの。ラーマヤーナの物語をベースにした踊りですが、近年では踊られていない部分をカットしないで踊る作品で30分を超える時間をたった2人っきりで踊ります。いわば「完全版」ですね。その名の通り、ランカップ(ルンカップ)、とは、完全版、という意味らしいです。
バリでもなかなか観る機会がないであろう完全版。よく教えてくださったと思うし、私たちもよく覚えて踊りました。



レゴンというのは、バリ王宮時代に王様のために踊られていた踊り。2人の踊り手がぴたりとシンクロしたように踊るスタイルのものです。音楽も柔らかめ。今はポピュラーに踊られるけど、昔々の市民の人たちはなかなか目にする機会がなかったものなのかもしれませんね。

その踊り手は「レゴンダンサー」と呼ばれていて、レゴンだけを踊る少女として家族から離れて王宮で踊るためだけに生活をする。それは名誉あることだったと聞いたことがありました。


バリ舞踊には、国の歴史から、王宮の舞踊、奉納のための舞踊、市民の娯楽としての舞踊などがうまれて、それぞれ、作品や音楽の旋律、衣装や、踊りとしての型などが違っています。
さらに男の型と女の型があり、女性が踊る男性の方の踊りがあり。
ガムランやケチャの成り立ちも面白く、、。

バリ舞踊とバリの音楽、バリ島の歴史のことは、話し出すと止まらなくなるくらいですので、10年で学んだことは思っていた以上にたくさんあったのだと思います。


踊りは、音楽は、その土地の文化であり歴史そのもの。

いつか世界中の踊りに、その踊りの生まれた土地へ実際に行って触れてみたい、というのは私の密かな夢の一つなのです。

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