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お伊勢参り:内宮

朝ご飯のことはまた後に書きたいと思います。
伊勢から帰ってきて、また日常にまみれて…というか、私にとって大きなこともありなかなかnoteに向かうことができず、でした。

内宮での記憶があるうちに。

到着は9時を過ぎていたため、すっかり観光地という雰囲気でしたが、正式参拝の正装の方々(企業の役員さんでしょうか)もいらっしゃいました。

宇治橋から内宮に入ります
雲一つない晴天

写真で見ていたこの宇治橋を渡り、ホームページのモデルコース(フルコース)の順にまわります。

五十鈴川で手も心も清めていきます。

そして正宮

写真撮影できないエリアについては、記憶を焼き付けるようにしばらくそこに立っていました。
雲一つない青空と、豊かに葉をつけた神木。
清らかで、でも近寄りがたい孤高の存在。
そんな言葉が浮かびました。
地球の平和と私たちを照らし、お守りください。

次に荒祭宮(あらまつりのみや)へ。
少し高台になった場所にあります。明るい華やいだ雰囲気を感じました。

荒祭宮

次に風日祈宮(かざひのみのみや)へ向かいます。もう一度五十鈴川を渡ります。橋の向こう側に真っすぐに伸びている木が見えます。


鎌倉時代、元寇の時、神風を吹かせて日本を守った神。

風日祈宮

2本並んですっくと伸びた御神木。体の中を風が吹き抜ける感覚。

このあたりから、まっすぐにのびた御神木が気になりだしました。


高いところに枝葉が広がっていますが、太く強くまっすぐ伸びる幹には枝はありません。成長の過程で余分なものを削ぎ落とし、より確固たる存在になっていくのでしょう。そこに力強さと揺るぎないものを感じます。

一方で、低木は…
いくつもに枝分かれして、横へ横へ広がっていきます。幹も、色んな方向へ曲がりくねって伸びていたり、傾きながらもバランスを保っています。
風が吹くと、サワサワと賑やかに、爽やかな音を立ててくれます。苔や蔦をたたえている木もあります。

蔦がからまる…”共存”

高木は凛とした強さ。確固たる意志。
低木は優しさ、柔らかさ。豊かさ、多様性。
その象徴のような気がしました。

この桜の木も、ほんとうに優しい。


御厩にて。

最後に、子安神社大山祇(おおやまつみ)神社へ。
やわらかい枝の木々に囲まれて、ひっそりと、こじんまりとそこに在る。優しい空気感が好きですね。

私自身は、高木のような孤高の存在だったかもしれない。
周りを寄せ付けづらい何か。
実際に、その時に必要のないものを削ぎ落として。
でも、本当は、整った形でなくてもいいから、自分なりのバランスで立ち、優しく、豊かにそこに在る、そんな生き方を本当は望んでいるのかもしれない。そう感じました。