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『築城記』永禄八年に記された中世の築城技術【『築城記』の現代語訳・解説・翻刻】

本記事は戦国中期(永禄八年)に書かれた『築城記』の全文の現代語訳と解説です。鉄炮がまだ戦場の主力にならなかった時代の素朴な中世日本の城、用害之事にはじまり、山城ノ事、平城ノ事、由緒まで全46項目に渡る事柄が記されています。

僕は忍術研究を専門にしているので、忍術の理解、解像度を上げるために現代語訳を行いましたが、中世日本の城の姿に興味がある人にも読んでいただき、ご意見をもらえれば嬉しいと思っています。

現代語訳にあたり参照した『築城記』は国立国会図書館所蔵『築城記』及び国立公文書館所蔵『群書類従 巻四百十九 築城記』になります。

翻刻には「みを(miwo):AIくずし字認識アプリ」を使用して、一部自動認識の誤りを確認し修正しました。(もし翻刻にミスを発見した場合はお知らせください)


用害之事

1, 冠木かぶきノ木戸の図

『築城記』の図を元に作成。青字は筆者による補足。

【現代語訳】

冠木かぶきの木戸である。

【解説】
「冠木」の木戸は木の角材を柱として両脇に立て、この上に横木を被せて渡す。戸板は図を見る限り竹を編んだ「網代あじろ垣」状のものと思われるが不明。

オモテ(表)
カフキ(冠木)ノ木戸也

『築城記』

山城ノ事

2, 水ノ手

【現代語訳】次のことを照らし合わせて山を見ること。しかしながら、まずは水がなくては何もできないので決して水ノ手を遠くに用意してはならない。また、水ノ手がある山でも尾根続きを堀切ったり、水の近くの大木を切ることで水が留まる事などがあるので、よく水ノ手を確認し山を選ぶこと。人足などが無く、考えもなく築城に取り掛かるのはやめ、水については何度も言うようだが、水が出る事が肝要なのだから、よってこれを深く考えておきなさい。築城において末代の人達の命を伸ばす事は「山城ノ徳」という。城守は天下(世間)の影響を受けることをよく考えなさい。日夜辛労を重ねて用意することが肝心である。

【解説】山城を取る(城を取る=築城)にはまず水が確保できるかどうかを考えなければならない。水は飲料水、調理、馬を洗う、また火災の時の消火に必要になる。兵を収容して防戦を行うにも、飲み水がなければ兵のパフォーマンスは下がり戦闘は継続できないだろう。
水は山城の近くで確保できることが望ましく「水ノ手」は水を確保する場所、また井戸のある曲輪を指している。水が確保できる山であっても、普請(築城工事)によって水が止まってしまうことがある。例えば敵の進軍を遮断する「堀切(尾根を掘って断ち切る)」を普請したり、水ノ手の近くの大木を切り倒すことにより水流が変わり水が確保できなくなるという。とにかく水を確保するのが大事であり、考えもせずに普請に取り掛かってはならない。
末代人数(今後起こる戦に参加する兵士)の命を伸ばすこと考えるのが「山城ノ徳」であり、城守は天下の人々の力があってこそ防衛戦を行えるということを常日頃考え、城の準備をしなければならない。

可然しかるべく相見也。然共しかれども水無くては無詮せんない候間そうろうあいだ努々ゆめゆめ水ノ手遠くはこしらえべからす。又水ノ有る山をも尾つづきをホリ切、水ノ近所の大木ヲ切て其後水の留事在、之能々水ヲ試て山を可拵也。人足等無拵にして聊尓りょうじに取かかりふ(棄)て、水返々出水之事肝要候条分別有べし。末代人数の命を延事は山城ノ徳と申也。城守も天下の覚を蒙也。日夜辛労を積て可拵事肝心也。

『築城記』

3, 塀の高さ、狭間の大きさ

【現代語訳】塀の高さ約五尺二寸(156cm)、狭間の高さ約三尺二寸(96cm)、狭間の幅塗り立て約七寸(21cm)、狭間の角を適切に下ろし(勾配をつける)矢を射出しやすように作る。

【解説】「塀」は高さ約五尺二寸(156cm)で、塀に開ける迎撃用の窓「狭間」は高さ約三尺二寸(96cm)、横幅約七寸(21cm)に開ける。狭間の内側の角は弓矢で射撃しやすいように斜めに削っておく。『築城記』に記される狭間は弓矢による射撃を目的としており、時代的にも鉄砲は使われないと考えられる。

一、塀ノ高さ五尺二寸ばかり、サマ(狭間)の長さ三尺二寸ばかり。サマの口の広さぬりたて七寸ばかり、サマのかどを能おろして矢ノ出よき様に可拵也。

『築城記』

4, 狭間の数、身通りの狭間

【現代語訳】狭間の数は塀が一町(109m)ごとに三十や、四町(436m)ごとに二百二十ばかりが良い。しかし、狭間の数は状況によって決める。矢を射出して敵が嫌がる場所を見計らい多く狭間を切る。また、身通りの狭間(人が通れるほどの狭間)などといって、昔は狭間を切っても使わない場合は狭間蓋をして塞ぐことがあり、これなら狭間が多くても苦しいことは無い。これらは口伝が多い

【解説】「狭間」の数は塀の長さが一町(109m)につき30箇所(3.6m間隔で1箇所)、四町(436m)につき220箇所(1.9m間隔で1箇所)が基本で、状況に応じて数を決める。敵が城を落とそうと接近するとき、弓矢で射撃されると嫌がりそうな場所を考えて狭間を多く開ける。
人が通れるほどの大きさの狭間を「身通りの狭間」といい、昔(戦国初期ごろか?)は狭間を作っても使わないときは狭間蓋をしていたので困ることはなかったという。
「身通りの狭間」の用途は、槍を突き出して塀に取り付く敵兵を迎撃したり、狭間から外へ出て応戦したりするためだろうか?しかし味方が出れるということは敵も侵入できるということなので、これを防ぐために通常は狭間蓋をして隠していたらしい。
狭間は多い方が敵を迎撃しやすいが、塀の強度問題や、大きすぎる狭間は敵の侵入を許してしまう問題が発生するが、狭間蓋をして塞げば大丈夫だという。

一、サマ(狭間)の数は一町の面に三十とか四町に百二十ばかり可然と也。然共しかれども数て事やう体によるへし。矢出て敵いたむへき所をみはからひて多も切へさ也。又身とほをり(通り)のさまなどと云て昔はきらす候事候。しかれとも不入サマをはさまふたをしてふさぐ事なればサマ多して不苦。口伝多之

『築城記』

5, 矢倉の高さ、小矢倉

【現代語訳】「矢倉(櫓)は塀の前面よりも二尺(60cm)高く上げる。弓が一張り立つほどが良い。矢倉の数が多いことは良いことだが、矢倉を大きく上げるのは良くない。小矢倉は一辺が約七尺(210cm)四方が良い。」

【解説】「矢倉」は塀よりも二尺(60cm)高く組み上げる。塀の高さが五尺二寸(156cm)なので、矢倉の高さは七尺二寸(216cm)になる。矢倉の下にも兵がおり、塀の狭間から弓矢で射撃を行うため、矢倉の高さは弓が一張り立つ高さが良いとされる。和弓の長さは約七尺(210cm)、正倉院が所蔵する弓は短いもので六尺六分(198cm)、長くて八尺五寸五分(270cm)である。
矢倉の数がたくさんあるのはいいが、矢倉一機が大きいのは良くない。「小矢倉」は一辺が約七尺(210cm)四方というのでこれが最小基準と考えられる。

一、矢蔵は塀のむこ(向)よりも二尺(60cm)高くあくる也。弓一張たつほと可然しかるべき。矢くら数多候事は可然しかるべき候大に上べからず。小やくらは七尺四方はかり可然しかるべき候也。

『築城記』

6, 矢倉の狭間

【現代語訳】矢倉の狭間は縦約三尺(90cm)、口(外側の幅)は約六寸(18cm)、狭間の下(内側の幅)は約八寸(24cm)にする。

【解説】矢倉の狭間は高さ約三尺(90cm)、口(外側)の幅約六寸(18cm)、元(内側)は約八寸(24cm)にする。

一、矢くらのサマは三尺はかり、口六寸はかり、サマの下八寸はかりたるへし。

『築城記』

7, 馬隠し

【現代語訳】馬隠しのは約三尺(90cm)伸ばすと良い。

【解説】騎馬での出撃準備を敵に悟らせないために「馬隠し」を用意する。馬隠しは塀から約三尺(90cm)高く板を伸ばすので、塀の高さが五尺二寸(156cm)なら馬隠しは高さ八尺二寸(246cm)になる。騎乗すると頭が塀を超えてしまい敵に丸見えになるのでこれを隠すのが目的だろう。攻城軍への逆襲は敵の意表を突き、防御の薄い所にスピーディーに攻撃を仕掛ける機動力が重要で、密かに出撃準備を行わなければならない。もしかしたら馬出しの原型かもしれない。

一、馬かくしは三尺ばかり延ると可然しかるべく候。

『築城記』

8, 木戸の柱

【現代語訳】木戸は柱の間が七尺(210cm)。この柱はどれだけ太くても良い。寸法は所により合わせる。

【解説】木製の城門「木戸(城戸)」は左右に太い2本の柱を立てるが、この太さはどれだけ太くてもいい。この柱の間隔は七尺(210cm)取る。柱はいかほど太くとていいと言っても、丸太を製材して人力で立てるのだから、男手が数人たかって立てられるくらいの太さで想像したら良いと思う。

一、木戸は柱の間七尺、柱はいかほどもふとくて可然しかるべく候。寸法は所て有之候也。

『築城記』

9, 馬隠し(7と重複)

【現代語訳】馬隠しの塀は約三尺(90cm)伸ばすと良い。口伝がある。

【解説】7と重複

一、馬かくしは三尺はかり延ると可然しかるべく候。口伝あり

『築城記』

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