今という一瞬を生きること【限られた時間で一時も無駄にならないように過ごす】

普段生活していて、忍術・デザイン・パルクールに取り組んでその中で気づいた一瞬を生きるということについて書いていきます。

パルクールでは技を繋げるフロー。デザインではイラストを描くとき。忍術では護身の武術稽古で気づかされたことを以下に記述しますが、言いたいことは全て一緒だと思います。

一発でフローを決めることを忘れていた(パルクール)

先日パルクールをしていて、TwitterやYouTubeにUP用の動画を撮っていて気づいたことがあります。

「自分のパルクールがただの映像になってきてるいる。」

この映像というのは、完璧なパルクールのフロー(技を繋げて作る流れ)が出来上がるまで何度も撮り直し、やっと仕上がった一枚がパルクールという作品になり出来上がるということです。

しかし、本来のパルクール。つまり第一次大戦期のフランス軍の軍隊トレーニングとして誕生した際のパルクールの概念・目的「周りの物で心と体を鍛える」に立ち戻ってみると、今のパルクールのやり方は違っていると感じました。

確かに、カッコいいフローを撮ることは間違ってませんし、映像として見せるためには撮り直すことは大事です。

今のやり方は、カッコいいフローを撮るために最初は様子見で動き、微調整を繰り返し、カメラで何回も撮影するもので、この行為はただの映像作品の制作になっています。

人は今という時を生きていて、同じ時を繰り返さない。初期パルクール概念では生きる上で大きな過ち(死ぬこと)を起こさないためのトレーニングだったのに

パルクール実行前にスポットの下見をして、フローをイメージしておくのはいいと思います。しかし、一発で成功させる気持ちで向かい、もしミスしてもそれを無理やりでも取り返し成立させることをしなくなったら、それはトレーニングではなくただの映像作品制作なのだと思いました。

絵を描く線一本にも緊張感を(デザイン)

ちなみに絵を描くときも同じことを感じることがあります。ペンや絵具などアナログ画材は多くの場合、ミスった作業を取り消せません。一筆一筆が真剣勝負で、線一本引く時には緊張感があるものです。

しかし、PCやタブレットを用いたデジタル画材はミスったら取り消せる。納得できなかったら元に戻せる。それはまるでタイムマシンで数秒前に飛び帰るような行為です。でも現実では自分自身は今という右回りにしか針の進まない時計の上を生きていて、刻々と死へのタイムリミットは近づいています。

今やっていた作業を取り消して、3秒前の状態に戻す行為は、自身の寿命をまるで悪魔の契約のように3秒引き換えにしていると捉えることもできます。

こんな気持ちでいると、今という一瞬を大事にするのを忘れてしまいがちにになるのではないかと思います。

武術稽古に次はない。(忍術)

また、最近読んだ武術書にも同様のことが書いてありました。武術稽古がうっかりするとゲームになりがち。攻撃を喰らった、組手で負けた。じゃあ次はちゃんと受けて、こう返して勝とう…

でも、実戦を措定するとこの稽古に対するマインドは間違っています。

本来、武術はスポーツではないので勝ち負けのゲームではありません。稽古はいざ敵と対峙したときに備え、生き残るための方法を身につけるものです。なので稽古であっても負けたときは死んだとき。だから今という生きている時を懸命に見つめなければいけない。負けてから次はどうしようと対策を考えていると、間違えたものが身についてしまう。

今この一瞬を生きる

パルクールであってもデザインであっても忍術・武術でも、今という生きている時間をいかに全うするのか?を考えないといけないと思いました。

とりあえず、パルクールもデザインも忍術も、僕の今のスローガンは「今この一瞬を生きる」ですかね

🥷忍者の思考と精神を身につけるべく、日々修行を行ってますので見届けてもらえると幸いです。あとお仕事のご依頼もお待ちしております🙇‍♂️。サポートは兵糧(ひょうろう)に使わせていただきます。 WEB:https://shinobi-design-project.com/home