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ボルタンスキー作品の問いかけを考える【クリスチャン・ボルタンスキー-Lifetime:後編】

クリスチャン・ボルタンスキー-Lifetime
(国立新美術館)

心に問いかけてくるインスタレーション【クリスチャン・ボルタンスキー-Lifetime:前編】はこちら↓
https://note.mu/kiyo_design/n/n704bf0bc9666

後編では、クリスチャン・ボルタンスキー展の気になった作品をピックアップして、自分なりの考察を書いていきます。

【ぼた山】個人が消えていく危険

「ボタ山」という作品は、黒いコートが大量に積み上げられた山のインスタレーションです。

ひとつひとつで見るとコート(個人)であるのに、山積みにされることで個々の区別が曖昧になり、ひとかたまりの山に見えます。

人の個性が失われて一体となってしまうのを表現しています。私たちが個として存在する事を自分自身が知らない間に辞めていて、大きな社会の流れに流され、そのパーツになってしまっている危険性を考えさせられます。

インスタの流行やテレビの情報に流され、知らぬ間に他者にコントロールされてしまい、結果自分で考えることをやめてしまっている現代の危険性について語っているように思いました。

【ミステリオス】手にすることができない知識の探求

「ミステリオス」という作品は、南米のパタゴニアで撮影された、浜辺の骨(クジラか?)と浜辺の音響オブジェ、海の3つの映像作品です。

パタゴニアではクジラは時間の機嫌を知る生き物とされており、そのクジラと音響オブジェでコミュニケーションを取るというインスタレーションです。

手にすることが出来ない知識への探求を表しており、人間の持つ未知への好奇心、それを知ろうとする知的欲求、人間が知ってはならない領域、神秘的神話性などを考えさせられます。

【黄昏】西洋的な決まった死=終わり

「黄昏」という作品は、床の上に無数に並べられた電球のインスタレーションです。

国立新美術館のボルタンスキー展スタートから日に3つずつ電球が消えていき、展示終了時には全ての電球が消えてしまうという、いつか必ず訪れる決まった死という時間を表現しています。

電球が全て消える=死、終わりが訪れる考え方は西洋宗教的であり、仏教など東洋宗教的な輪廻転成や陰陽五行(生死という終始の考えが無く、循環し続ける構造)とは違うのは作家がフランス人という特性ではないか?とも思います。

もしかしたら、そんな考えを含めての決められた死という問いかけなのかもしれませんが…

展示で得た「問いかけ」の気づき

ボルタンスキーの展示を通して、作品は作家の考えを持ち、それを鑑賞者に伝えて「あなたはどうなんだ?」と問いかける力を持っていることに気づきました。

但し、この公式が成り立つには、作家の適した表現方法と惹きつける魅力、鑑賞者の推測する知的好奇心と思考力が必要とされます。

大量消費的な娯楽作品も僕は観るし、楽しくていいものですが、たまには深い考察を必要とする作品に触れることも重要だと思います。

自らの頭をリセットし、考える力を養うことで、自分の知らなかったより素晴らしい世界に気づくこともできます。

作品の問いかけに注意して、好奇心の幅を少し広げてみませんか?

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