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【用語解説】これが分からないと江戸時代が分からない!朱子学とは?

朱子学とは?

徳川家康は幕府を開いた時、朱子学を奨励しました。
朱子学とは、中国の孔子が作った「儒教」を南宋の朱熹という人物がアレンジしたもので、親と子の「孝」、君と臣の「忠」、身分の上下を重んじる学問です。

朱子学の日本における影響は井沢元彦先生の「逆説の日本史」シリーズや「朱子学に毒された中国 毒されなかった日本」に詳しく書かれています。

徳川家康はなぜ朱子学を奨励したのか?

本能寺の変という事件があります。
家臣の明智光秀が主の織田信長を討った事件です。
今後徳川の世で謀反を起こさせないように、武士階級に朱子学を学ばせました。
なぜなら朱子学では親や君主が絶対。
逆らう事は御法度だからです。
徳川の治世が続く限りは世の中に争いは起こらず平和な世の中が作れるという事です。

朱子学は江戸時代にどんな影響をもたらしたか?

朱子学には平等であるという考えはありません。
全ての人には必ず身分の差が生まれます。
江戸時代には士農工商があります。
「士」は武士の事。政治を行うのは武士の仕事であり役割です。帯刀も武士の特権です。
「農」は農民の事。人が生きていくのに必須な米を作るのが農民です。特に江戸時代までは武士の給与も米。米を中心に世の中が回っていました。
なので、農民は重要視されていたのです。
「工」は職人の事です。武士や農民が使う物を作る役割です。現代の感覚では職人は専門職リスペクトされる存在ですが、当時は3番手の身分と考えられていました。
「商」は商人の事です。これが現代の感覚と1番ズレていると感じますが、朱子学では商人というのは農民や職人が作った物を右から左へ流して利益を貪るだけの卑しい職業とされてきました。商売をするなんて人間のクズである。くらいの認識でした。
またその下に穢多、非人という差別階級もありますが、今回は割愛します。しかし日本史には欠かせない事柄なのでまた詳しく書きたいと思います。

江戸時代260年間、身分の差は絶対。商売は悪である。という意識が日本人の骨の髄まで沁み込んでいきます。真面目で勉学に励む優秀な人ほどこの朱子学でガチガチになります。
幕末は朱子学から目覚めた人と朱子学の狂信者との闘いになるのです。

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