『エムエスエクス』感想


 ブンボル長島『エムエスエクス』(すぱる4月号)読了。

 妙に感激。

 ネット上では難解だ、難解だという書き込みを見るが、まあ、難解ではないと思います。

 それは、僕とブンボル氏が同世代で、なおかつ彼と同じように80年代に一世を風靡した(?)「MSX」という家庭用コンピュータのユーザーだったからでしょうが、ちっとも難解ではなかったです。

 作中で描かれるMSXユーザーの卑屈なまでのファミコンへの反抗心と矜持、それでも『スーパーマリオ』はやってみたいというジレンマ。あと、少年から男へと変わらざるを得ないと分かったときの、その心の葛藤はよく分かりますね

 それから、あの中で、主人公の英次がどうしても自分のことをオレと言えなくて、苦悩するというところがあるのですが、それは僕にも経験があります。

 主人公は作中で荒木飛呂彦の『魔少年ビーティー』を愛読しており、その中の言葉「精神的貴族」に影響をうけ、自分も精神的貴族たろうとして、「僕」という言葉にこだわり続けるんですね。僕はこれはわかる気がします。

 また、作者が二人のメッセージ性の強い歌手、尾崎豊と鈴木彩子について言及しているのですが、尾崎豊はあくまで「僕」をやさしく大事にする。鈴木彩子は男性性を模造しようとして「俺」を濫用する、とあって激しく同意しました。

 って、こんな話題、すごいピンポイントなんですけど、文壇の老人たちや、若い文学少年たちには通じンだろう?

 

 タイトルの『エムエスエクス』はトリプルミーニングで、まず最初は80年代に100万台を普及した家庭用パソコン(の統一規格)であるところの「MSX」(MSは「マイクロソフト」で、Xは拡張性を意味すると説明されていた)、もう一つは「M-Sex」つまり、男性の性(セイ)と性(サガ)を表しているのだそうです。

 この作品の中で、主人公の英次少年はシスコンで一つ年上の姉に羨望をいだいています。自分も美しい姉のようになりたい、と心の中で願っています。風呂上がりでふと見た鏡の中の自分に、その「醜い」男性器に対して違和感を感じ、鏡の向こうにいる自分に対して殺意を抱いたりもします。

 しかしその反面「MSX」というささやかなコンピュータ、メカニカルな欲望によってどうしようもなく癒されていく自分に対して、どうしようもない男性の性(さが)を感じてしまいます。(イナガキタルホ的にいえば「ウィタ・マキニカリス」ってやつでしょうか)。

 もともと、このパソコンは彼が姉と一緒に買ったものでした。お年玉を半分ずつ出し合って買ったもので、買った当初は姉もゲームに熱中するのですが、それは長続きせず、パソコンへの興味からさめてしまいます。

 そのきっかけとなった日のことを、彼が鮮明に覚えています。それは、姉が初めてブラジャーを買った日でした。その夜、彼は布団の中で、ふすまの向こうで交わされる母と姉の楽しげな声を聞き、結局その夜はまんじりとも出来ずに朝を迎えました。彼はそれいらい、活発で利発だった姉は「女らしい、華やかな」世界にいってしまったと思っているのだといいます。やがて部屋も分けられ、彼は一人占めできるようになったMSXパソコンでゲームやプログラミングの世界へと没入してゆきます。

 MSXは、姉と彼が共有した、最後の記憶なのですね。

 さっき、トリプルミーニングと書きましたけれども、もう一つの「エム」は、「M君」事件のMです。M君とは日本で一番有名なアニメ監督と同じ名字を持つ幼女誘拐殺人犯のことで、彼が逮捕され、その自宅の様子がテレビで流されたとき、主人公の英次くんは、強烈なショックを受けるんですね。程度の差はあれ、自分の部屋も同じだと思ったわけです。

 「女の世界」に行ってしまった姉との決別とともに、いまや彼の部屋はコンピュータ雑誌や漫画本でいっぱいになっていました。

 まあ、この「事件」に関しては僕も衝撃でした。僕の部屋も母から「サティアン」と呼ばれるほどの有様でしたから、M君事件の時もいろいろチクチク言われた記憶がありますけど。

 ちなみにここでの「エス」は深層心理、「エクス」は水のイメージだそうです。物語前半、主人公と姉は水泳スクールに一緒に通っていて、作品全体にもたゆたう水のイメージがあるにはあるのですが、どちらもどうも後付けっぽい気はします。

 

 この小説はまあ、「純文学」だからいいのかもしれませんが、「夢」で終わります。まあ、「夢でした、チャンチャン」という夢オチではなくて、最後に幻想的な夢を見るってことですが。

 それなりにオタク的な部分を遺しながらも、ある程度バランスをわきまえるようになった主人公は、どこか姉に面影が似た彼女と同棲しています。SEXに対してはあまり貪欲でなく、彼女を満足はさせていないのですが、そういうことも彼には結構どうでもよくなっている感じ、惰性で同棲している感じです。

 で、その夜、いい年をした大人のくせに、彼は淫夢を見るんですね。それもけっこう情けなくてシュールな夢です。

 その夢の中で、彼は自分の男性器が、ぐらぐらしていることに気づきます。ぐいっと引っ張るとポロッと取れた。

 これは一体どうなっているのかとよく見ると、股間がMSXのカートリッジ・スロットになっている。そうか、そういうことだったのか! と何の疑いもなく思うわけです。

 そこで、彼はそこにMSXのカセットを差してみます。「イーアルカンフー」とか「けっきょく南極大冒険」「グーニーズ」なんかのカセット(なぜかコナミばっかりですが)を股間のスロットに差してみますと、なんだかとても気持ちよくて、なおかつそのゲームの世界と(あるいはプログラムと細胞が)渾然一体となったような感じがするわけです。

 ふと、思いついて、隣で寝ている彼女のパンツを脱がすと、やっぱり、彼女の股間も同じようにカートリッジのスロットになっています。そうか、こうなってたんだと思って、そうだ、こうしてやれ、と、さっき引っこ抜いた自分のMSX・オチンチン・カートリッジを彼女のスロットに差そうとするんです。

 ところが、差そうとしても、なぜかぜんぜん合わない。いくらがんばっても、入らない。

 えー、なんでだろう、と思ってよく見ると、スロットの形状が微妙にちがうんです。

 彼ははっと気づいて、「こ、これは、『ファミコン』のスロットではないか!」と愕然とする。

 (ここんとこ、妙に可笑しいんですが)。

 それでも彼はなんとか差し込もうとしても、MSXとファミコンではカセットの「仕様が違う」ので入るわけはない。

 彼は絶望的に悲しくなりながらも、彼女の股間にファミコンのスーパーマリオのカセットを差したところで、泣きながら目覚めるのですが、さらには年甲斐もなく夢精をしてしまっていることに気づきます。

 うーん。なんだか笑っていいのか、悲しまなくては行けないのか微妙だなあ、という気もしますが。エロイのかどうかわからないけど、非常に倒錯はしていると思います。サイバーパンクでもあり、「ちょびッツ」のようでもありますが。

 やっぱこの人、ちょっと変だよね、という気はします。

 いや、だいぶおかしいですね。きっと。

2005.07.21 

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