【KIYA-HENの、SNS考】

最近、Twitterでリプライ制限機能が実装されたそうだ。
https://www.gizmodo.jp/2020/01/twitter-bye-bye-xxxxxxx-replay.html

Twitterは自由な発言と自由なリプライが売りで、どちらにも制限を掛けないことがTwitterのTwitterたる所以だった訳だが、そのTwitterがとうとうリプライにも制限を掛けるように成るわけだ。

Twitterは一時期「バカッター」と呼ばれ、ツイート内容が低俗な場合とか、常識はずれなツイートは「バカを晒している」って事で「バカ発見器」とも言われていたことが有る。
これは、Twitterが利用者に制限を掛けていなかった事に由来するのだが、これで「バカッター機能」も制限されることに成る。

【SNSの歴史】

歴史を振り返ると、日本では1998年頃から2000年位に掛けてブロードバンドが普及し、それまでの従量制の接続料金から、月額固定の定額料金体系に成ったことで、爆発的にインターネット利用者が増えた。

その当時のコミュニティーと言えるものは、2チャンネルとNetNews位のものだった。
両者の違いは、NetNewsは今で言うメーリングリストに近いシステムで、ニュースクライアント(メールクライアントで代用できた)を用いて記事(配信)を読むことに成る。
元の投稿に対して誰もが自由にリプライできる点では、2チャンネルなどの掲示板と変わらないのだが、元々大学や研究所の連絡に使っていたシステムだったので、ちょっと硬い議論が行われるように成っていた。
そこにそう言う経緯を知らない新しいユーザーが流入することで、NetNewsの秩序が乱れて、所謂「炎上」が頻発するように成った。

対して2チャンネルは、誰もが参加でき自由に発言やリプライが繰り返される、本来のインターネットの姿に一番近い状態だが、この自由な発言(リプライ含む)の中に非常識な発言や、ハラスメント、ヘイト、差別などが盛り込まれるごとに問題になり、所謂「炎上」状態になるわけだ。
「炎上」を単にお祭り騒ぎと解釈すれば、炎上すらもイベントなのだが、そうではない人が多かったのか、炎上することは問題視されるように成っていった。

そこで登場するのがSNSと言うわけだ。
つまり、利用者を登録制(又は紹介制)にして制限し、投稿内容にも大きく干渉することで質の高いコミュニティーを形成しようとする訳だ。
そうすることで2チャンネル等の無法地帯に批判的な大衆を取り込もうという思想だった。
更に運営側は、個人情報の情報価値をいち早く見出し、登録制にすることで利用者の個人情報も利用できる。

【SNSのジレンマ】

実際、mixiは大成功を収めたし、現在もFacebookを筆頭に多種多様なSNSが存在してる。
しかし、利用者を制限するとコミュニティーが広がらないので飽きられるわけだが、利用者を増やそうとすると、そもそものSNSの利点「質の高さ」を失うことに成る。

利用者が増えて質の低下を招くと、今度は質の低下に耐えかねた健全な利用者が去って行き、結局レベルの低い不健全な利用者だけが残るのだが、健全な利用者が居なく成ると、彼らを揶揄して楽しんでいた不健全な利用者もその対象を失うので結果的に去ってしまい、コミュニティーの末期を迎えるわけだ。

mixiが良い例だろう。
紹介制で運用していた頃には、利用者には選民意識が芽生え、mixiを利用していることで有る種の優越感にも浸れただろう。
しかし、登録制に成った頃から、無法者(Abuser)が多数流入し、コミュニティーが荒れだし、炎上が頻繁に起きるようになり、その状況に疲弊した健全な利用者が他のSNSのへ移動していく事で、最盛期を終えるという構図なわけだ。

【Twitterは?】

其の中の一つとしてTwitterが有るわけだが、これはちょっとSNSとしては異色な存在で、厳密にはSNSでは無い。(TwitterオフィシャルもSNSではないと明言している)
利用登録は必要だが、発言に制限はなく「社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワーク」つまりは単に「通信網」と定義している。

これは、当初のインターネットの姿をそのまま映していると言えるわけだ。
何の制限もなく、自由に発言でき、そのモラルは利用者に依存する形をとっていた。
但し、運営側がある程度の制限を加えることで、それは制限ではなく運用に必要な潤滑剤として機能している。

そんなTwitterもいよいよSNS的な制限を設ける流れになったわけだ。
これはSNS文化の流れとして、一つのターニングポイントに成るのではないか?とオレは見てる。

【SNSの今後】

先に書いた「SNSのジレンマ」が解消されない限り、SNSは発生時点で破綻していると言えるのだが、まぁそう言う極論は置いといて、今後どうなるか?というか、こうなって欲しい的な未来を予測して見る訳だが…。

とにかくAbuser制限だな。
これに尽きる。
Abuserは直訳すると「虐待」だがネットでは「悪用者」とか「荒らし」と訳す方が適切だろう。ただ、日本語で正確に該当する単語がないので、言語のまま使用する。

Twitterが行うような発言制限(リプライ制限)等は、既にAbuseが混入している前提で行われている訳で、問題の根本解決にならない。
Abuserが混入することでコミュニティーが荒れることは既に明白なので、Abuserの混入を防げば解決するのだ。

其のために、既存のSNSは登録制を用いてきたわけだが、今後は適性試験が必要なんじゃないか?と思うわけだ。
つまり、明確に利用者特性を区別する(差別ではない)必要が出てくるのでは?と思っている。
心理テストなど、現代ではその手のテストは簡単に行えるわけで、その結果からその特定のSNS利用適性を読み取れれば制限は可能なわけだ。

まぁ、そこで特性がコミュニティーに合わないと判断された場合は、かなり悔しいだろうけど、そう言う特性なのだから、そう言う特性の人が集まる別なコミュニティーへ行けば良いだけの話だ。
例えば、車好きなら車好きが集まるコミュニティーへ行けば良いって判断だが、実際にそう言うコミュニティーが現れると人権問題に発展しそうだけどね。🤣

しかし、自由に利用させると問題が生じることは既に明白なので、問題を未然に防ぐためには制限は必要なわけで、その制限を持って生まれた特性で左右することの是非が問われるわけだ。
これは、差別問題と割とダイレクトに繋がる話になってくるので、おそらくはどの運営も尻込みするだろうね。

なので、発生当初から破綻している思想のままどんどん濁っていくんだろうなぁ〜とは思う…。😫



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