見出し画像

Vtuberはデーモン閣下になればいい

こんにちは。お初にお目にかかります。喜屋懐(きや・いだく)と申します。2017年末くらいからかな、Vtuberをぼちぼちと追っております。

あ、前置きなしに本文読みたい方はーー以下本文ーーのとこまでスクロールしてください。

流石に2年半も追ってますと、Vtuberに関して色々考えても来ました。好き勝手Twitterに思うことを放言する日々を続けてきたのですが、あれは流れていってしまうのでいけない。自分でさえ当時の自分の考えが追えません。

ということで、ここらで自分の考えを形に残しておきたいと思った次第です。前置きが長くなりましたが、よろしければお付き合いください。


今回のテーマは「バーチャルYouTuberはデーモン閣下になればいい」です。

こちらは私が2018年末にある場所でVtuberについて演説をぶったときのメモを基に、文章に起こしたものです。よって今では通用しない部分、言うまでもない部分が多々見受けられるかと思いますが、何卒ご容赦ください。では。


ーーーーーーーーーーーーーーー以下本文ーーーーーーーーーーーーーーー

バーチャルYouTuberはデーモン閣下になればいい。

この理由を語るために、そもそもバーチャルYouTuberとはどういう存在なのかというお話をさせてください。いやいや、この記事を読みに来てくださっている方なら今更かもしれませんが、まあ確認と思ってお付き合いください。

私はよく、2Dや3Dのキャラクターのアバターを使って行うYouTuberって説明をします。アニメキャラが画面の中で動いてYouTuberをやっているんです。簡単ですよね。
でも、今こんなに人気になっているということは、何か特異性があるはずなんです。ってことで私は考えました。

Vtuberの特異性とは「双方向性」である

従来のキャラクター、アニメや漫画の登場人物、あるいはアイドルでもいい。彼らとコミュニケーションを取ることは不可能だったわけです。必ず発信と受信は一方通行だった。こちらの声に相手が反応してくれることは決してなかった。

でも、Vtuberは違う。ファンアートを描けばリツイートしてくるし、名前を出せばいいねしてくる。リプライを飛ばせば返してくるし、生放送でコメントすれば読み上げて言葉を返してくれる。
この、画面の向こう側からのフィードバックがあるってことがなにより新しいこと、嬉しいことだった。

ネタが伝わるか分からないですけど「ルカルカ☆ナイトフィーバー」の世界ですよ。「次元の壁越えていつでも逢いに行く」ってね。まあ「いつでも」じゃないですけど。

私たちが焦がれてやまない二次元の存在が、私たちを見てくれる、会話してくれる。オタクの夢ですよ。そりゃ人気出るに決まってますよね。

でも、ちょっと待ってください。私は今までVtuberをキャラクターと捉えてお話してきました。でも、配信者の文脈で捉えてみたらどうでしょう?

Vtuberの特異性とは、2Dまたは3Dのアバターを使っていることである

キャラクターがYouTuberをやっている、二次元キャラクターとコミュニケーションが取れるというのは、確かに新しい。
でも、Vtuberがやっていることをよくよく見てみるとどうでしょう。従来のニコ生やツイキャスでやってることと変わらないんですよ。ゲーム実況しかり、生放送でコメントを拾って反応するなんていうのも、人間がやってるんだったらなにも新しくない。

キャラクターがYouTuberをやっているというよりも、YouTuberがより高度な、表情や身振り手振りが使えるアイコン、アバターを使っているという解釈をした方が分かりやすいんですね。

このようにして「二次元キャラクターのアバターを使うYouTuber」という表現をしたとき、そこに現れるのは、アバターというキグルミをまとって配信を行う「中の人」です。

Vtuberと「中の人」

我々がキャラクターと思って追いかけてきたVtuberは結局中の人の人格だったのか。あるいはそのキャラクターは全て演技であり、私たちは騙されていたのか。

しかし、私はこれにも「No」と言いたい。

なぜならば、バーチャルYouTuberと中の人は、別の存在だから。

例を出しましょう。
・コンビニに弁当を買いに行くと、サークルの先輩が店員をしていた。
・スーパーで買い物をしていると、学校の先生に出会った。
・家族と旅行中に、ばったりクラスメイトと居合わせた。

こんなとき、どこか気まずい気持ちになりませんか。普段、あなたと先輩は「サークルの先輩」「サークルの後輩」という枠組みのなかで振舞っています。ところが、コンビニで出会ってしまったとき、あなたと先輩の関係は「客」と「店員」というものにすり替わる。気まずさを覚えるのは、どちらの枠組みに合わせた態度を取るか決めかねるからです。

客としての私、サークルのメンバーとしての私、家族の一員としての私。どれも異なる自分なのです。

これをVtuberに置き換えましょう。
私たちがVtuberと結んだ関係は、Vtuberのアバターを通して、生放送やTwitterでのやりとりを通して結んだものです。「Vtuberとそのファン」という枠組みのなかで結ばれた関係なのです。

もしまかり間違ってキズナアイの中の人と会ったとしても、キズナアイと同じように接することはできないでしょう。なぜならば、私たちはVtuberとしての彼女と関係を結んだのであって、決して中の人と結んだのではないのだから。

だから、Vtuberファンは存在しないキャラクターを追いかけてるの? 中の人の演技に騙されてるの? って言ったら、違うんですね。

そこには確かにVtuberの人格が存在している。

AIや吸血鬼や魔王やケモミミ美少女として、同時に一個の人格を備えた個人として、確かに存在しているんですよ。こう書くとオタクの戯言のように聞こえますが、私たちはすでにそういう存在を知っています。そう、

Vtuberはデーモン閣下になればいい

聖飢魔Ⅱのボーカルでタレントのデーモン閣下です。デーモン閣下は言わずと知れた悪魔です。十万飛んで何某歳です。
でも普通に悪魔関係ないコメンテーターやってたり相撲の解説者やってたりする。悪魔であることを認めた上で、一人の個人として確立されてるじゃないですか。私は、Vtuberはあのような立ち位置になるのが理想だと思っています。

私たちは常になにかしらの枠組みの中で他人と接しています。Vtuberは、その枠組みごとにアバターを着替えているにすぎません。
私が制服に身を包んでレジに立ったとき、私はコンビニ店員としての人格を得る。それと全く同じやり方で、VtuberはVtuberとしての人格を得ている。少々制服が複雑で上等ってだけです。

私は、デーモン閣下のように、AIや吸血鬼やケモミミ美少女が一人の人格として、世間から受け入れられるようになればいいと思っています。それが、私の考えるVtuberの理想の姿です。


ーーーーーーーーーーーーーー本文ここまでーーーーーーーーーーーーー


いかがだったでしょうか。ここまでお読みいただきありがとうございます。

やっぱり改めて文に起こしますと、今の私とは問題意識が違うなと思います。当時はVtuberの実体が存在しないってことを恐れていたようなんですが、今なら語るべきは逆のベクトルでしょう。いや、主張自体はそんなに変わってないんですが、語り方を変えると思います。

これは、私が最初にVtuberに関して考えてまとめた文章ですので、一種私の中のVtuber観の根幹をなしているとも言えます。
そこから変わった部分、より突っ込んで語れる部分などに関して今後記事を加えていきたいと思います。

乱文衍字、誤字脱字、大変失礼致しました。
重ね重ね、ここまで読んでいただきありがとうございました。

この記事に関してご意見をいただければ泣いて喜びます。

#Vtuber #バーチャルYouTuber

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?