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前回記事の補足:Vtuberと「中の人」:またはルイズコピペ

こんにちは。喜屋懐(きや・いだく)です。今回の記事は前回書いた以下の記事↓

への補足というか、2018年の私に向けて2020年の私が行うツッコミみたいなものです。
よろしければ元記事をお読みになってから戻ってきてもらえると助かりますが、一応元記事読まなくても読めます。

Vtuberに対して感じていた「恐怖感」

さて、当時の私の考え方としては「Vtuberとは中の人から独立した一個の人格であり、ゆえにVtuberは本当にバーチャル世界に存在している」でした。

当時の問題意識としては、Vtuberが虚構であるということに対する恐怖感でした。特に今のVtuber業界では感覚として共有することが難しいのですが(理由は後述)、説明のために引き合いに出すとすればルイズコピペです。……いや、冗談じゃなくて。

これの「ルイズちゃんは現実じゃない?」の部分の発狂なんですよ。つまり、自分が耽溺しているキャラクターが実在しないと実感してしまったときの虚しさ。それは愛する人がこの世に存在しないという悲しさなのか、相手の存在が嘘ならば自分の持っていた感情まで嘘になってしまうという喪失感なのか。

これと同種の感情を私はVtuberに対して感じていた。放送で会話したり、Twitterで絡んだりして築き上げたと思っていた関係が、嘘であると思いたくなかったんですよね。

だから、ルイズコピペで言うならば「ハルケギニアのルイズへ届け!」という結論に持っていったわけです。
Vtuberと中の人は別存在で、「Vtuberはバーチャル世界で生きてるよ」っていう。別にアニメキャラの声優さんが結婚したってそのキャラが結婚するわけじゃないでしょ。

例えばあなたの好きなアイドルが、握手会が終わった後に必死で手を消毒していたとして。あなたが知っているのはあなたに向かって親しげに話しかけ、笑いかけてくれたアイドルですよね。あなたはアイドルの「中の人」に焦がれていたわけではなく、アイドルとしての彼女を愛していたわけです。

ここまで言えば私が当時感じていた恐怖感も、Vtuberとしての人格と、界隈用語で言うところの”魂”としての人格を明確に分けたがった理由もご理解いただけたのではないかと思います。

2020年、Vtuber=中の人となりつつある業界

およそ1年半前、私が上の記事の元となった演説を披露した頃は、まだVtuberに対してそういう”夢”があった。ものすごく簡単に言ってしまえば、動画勢がまだまだ元気があったと思います。

翻って今は、ほぼライブ配信が主流といっていいでしょう。完成されたキャラクターを演じる人は減っていき、私生活を赤裸々に語る配信者が持て囃されるようになった。すみません、こんな記事を読みに来るような人であれば、百万回聞いた愚痴だと思います。

話を戻すと、前項で言っていたような、信じるべき確固としたキャラクターを持っていない人が増えた。設定が本当にただの”設定”に堕し、Live2Dのアバターはただかわいい/かっこいいだけの仮面になった。キャラクターと話すのではなく、キャラクターを通して中の人を幻視して話している。

最早Vtuberが非実在的存在であることに悩む必要はありません。なぜなら今のVtuberは現実に存在している人間の現身に過ぎず、虚構性など差し挟まれてはいないからです。

しかし、それでも私はVtuber≠「中の人」であると主張します

ちなみに私が”魂”という用語の使用を避けているのは、”魂"という語にVtuberとその操演者を同一視する意味合いが含まれていると思うからです。(「外の人」とかいう表現もありますが、声優とかのイメージも引くためにあえて「中の人」を使っています。不快に思われる方はすみません)

バーチャルYouTuberの虚構性

前項ではVtuberから虚構性が失われたという話をしました。

しかし、それは本当でしょうか。

この考え方は、Vtuberを見ているとき、現実世界にいる人間を透かし見ているのではないかという仮定を根拠にしています。
この仮定が偽の場合、Vtuberの虚構性は保たれていると言えるでしょう。キャラクターという虚構をそのまま受け止めているわけですから。
では、真の場合はどうでしょう。
Vtuberのアバターの向こうにある人間の身体を想定します。ところが、あなたは中の人の顔を知らない。こうなると、二次元アバターの顔を仮置きしておくか、全くの想像で補うしかないわけです。
アバターの顔は当然創作物ですし、あなたが想像した中の人(仮)の顔は、当然虚構の産物です。

なんということでしょう! 真/偽いずれの場合でもVtuberの虚構性は破られていないではありませんか!

………………。

……はい。当然「顔を知ってる場合はどうなるの?」っていう疑問が湧きますよね。私はそこに解釈の余地が生まれると思っています。
その人の生身の肉体を知っている場合、あなたは2つのアバターを比較して、1つの人格と捉えるか別の人格と捉えるかを選択することができます。
ただ私見では、人物評価における生身の肉体が持っている「権力」が大きすぎるために、別の人格と捉えることは難しいと思っています。


はい。とりとめのない文章でしたが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
自分の考え方の備忘録的に書いているものではありますが、何かしらのレスポンスをいただけたら泣いて喜びます。

#Vtuber #バーチャルYouTuber

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