夏の始まり

気が付けば、今日から八月。

七月は少し遅れてやってきた梅雨のような日々が続き(時勢的にも)

去年までのような、もわりとした夏を感じなかったのですが、

今日朝目覚めてほっとした。

蝉の声がはっきりと聞こえ、太陽はコンクリートを白く照らす。

湿度はやはり高く、日本の夏がちゃんと始まりだした。

私は夏が好きだ。夏というだけで、すべてが青春と化す。

火照る気温の高さや、太陽のエネルギーが強いこと、身軽でさわやかな服装は、気持ちが良い。デパートに入った時なんかの、冷房で体から一気に熱が吸い取られていく感覚も最高だ。

地中海の人が心が健康的なのは、食べ物とか、コミュニケーションが豊富だとか、いろいろ理由はあるけれど、気候も大いに関係していると思う。

最高気温の記録を更新し続ける日本の気温の高さはもう充分で、湿度を取って、からりと軽い風を添えてやれば、地中海の気候の完成だ。(地中海でも、海の近くの地域は湿度90%以上の日本の都会よりずっと不快で重苦しい日がある時もあるのだけれどすごく稀だ)

日本はこの数年間ですごく暑い国になった。

昔、ヘキサゴンという番組で、島田紳助プロデュースのアラジン(マー君婦人の里田まいやタピオカの件でひと騒動した木下優樹菜所属)というグループが「陽は、また昇る」という歌を歌っていたが、歌詞にこうある。

「このままじゃ終わるわけない」

「頑張れニッポン、スゴイぞ、ニッポン!」

「誇り取り戻すために」

「黄金の国ジパンクもう一度、日はまた昇るはずだよ」

この歌詞を今書ける人はいるだろうか。歌える人はいるだろうか。日本の夏は暑いけど、年々世の中は冷めていっていると思う。

個々が重視され、みんなばらばらの方向を向いているから、国民が一団となって熱中するものはないし、頑張ろうは良くない言葉になっているし、政治は国民の士気を下げるし、他の国に日は昇りそうだし。

このようなアツさ、今の人は嫌いかもしれない。信仰じみていると思うかもしれない。何が根本にあってそう感じるのか。それは、また新たな世論の信仰においてではないか。なんて、考えてしまう。

今年も日本の夏は開幕した。夏にしか出会えない蝉の声と、エネルギッシュな太陽、日傘をさした婦人が道を通るのを目にしたりしながら、たまには世間、体裁、見栄なんかを忘れたいものだ。夏を生きたいものだ。

ps.夏の時期で嫌なのはお風呂に入るまでの時間。べたべたして気持ちの悪い汗をはやく流したいけど、お湯の暑さは季節とミスマッチだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?