死体の上で生きている
物心ついた頃から物語として神話が大好きで、ギリシャからローマ、ケルト、インドに至るまで色々な神話を読み漁ってきました。
大学で文学部を選択したのも、神話について詳しくなりたいという何ともぼんやりした気持ちがあったからです。
神様たちが個性豊かだから好きです。
特にギリシャなんて、正直人間よりも人間くさいというか。すぐ恋をして、怒って、報復して、やり過ぎたかなって反省してたりします。すごく魅力的ですよね。
でも、そんなに人間くさいのに、どうしても人間とは決定的に違うところも好きです。
人間作りすぎちゃったな、鬱陶しいなって思って戦争させたり洪水おこしたりするなんて、普通に考えて頭が狂ってないと無理です。やっぱり人間じゃないんだなあと思います。
とまあ好きなところを語るとキリがないのですが、幼少期の私が1番衝撃を受けたのは、私たちは死体の上で生きているということでした。
メソポタミア神話の話を少しします。
この神話では、夫である神、アプスーを殺された原初の女神ティアマトが、復讐を果たすべく11の怪物たちを生み出し他の神々との戦いに挑みます。しかし彼女は敗れ、彼女の遺体はふたつに引き裂かれてしまいました。引き裂かれた遺体の半分は地に、半分は天になった…といわれています。
このように原初の存在が殺され、その遺体が世界の基盤となる、という話は他の神話でも見られます。
例えば北欧神話では原初の巨人とされるユミルを神々が殺し、その体から大地を、血から海や川を、骨から山や岩を作ったとされています。
ユミルという名や北欧神話は「進撃の巨人」のモチーフとなったことでも注目されましたね。
これらの話を知った時、なんとも言えぬ恐怖に襲われたことを覚えています。
私は日本に生まれて、何の宗教も神話も信じていないし、おそらく正しいであろう地球のでき方もなんとなく知識として知っています。だからこの話を物語として捉えることが出来ました。
でも当時、この神話を語り継いでいた人たちはどんな気持ちだったのか。自分たちは人ならぬモノの遺体の上で生きていると認識して日々を過ごしていたのでしょうか。
遺体の上で食事をし(ちなみに、食べ物が神の遺体から生まれるといった神話も多く存在します)、遊び、学び、夢を見る古代の人々。
なんとも芸術的でありながら狂気に満ち溢れていてぞっとします。
実際、今私が踏んでいる地面の下にも過去の遺跡や人が眠っている可能性はゼロではない訳ですから、本当に私たちは誰かの死体の上で生きているのかもしれません。
日本では桜の樹の下には死体が埋まっている、なんて言われたりもしますが、そもそも桜の樹の下どころか地面自体が死体かもしれないよ、という、少し夏らしいひんやりとしたお話でした。
最後に、
神話、興味を持たれた方はぜひ沖田瑞穂さんの「すごい神話」を手に取ってみてください。
こういう切り口からの神話紹介がふんだんになされていて、学問としての神話に興味が無い方でも面白く読めると思います。