似合ってくれて、ありがとう。
眼鏡屋の店員さんが、素敵だった。
惚れ惚れするほど、眼鏡がよく似合っていた。
眼鏡好きとしては、
眼鏡そのものを眺めるのも幸せだけど、眼鏡が似合う人を眺めるのも、同じくらい幸せ。
あまりに店員さんそれぞれの眼鏡コーディネートが素敵だったので、簡単に書き残しておく。
👓50代前半くらい・渋めの男性店員
水色ストライプのシャツに品のいい蝶ネクタイ。
きれいに整えられた髭と、それを引き立てる小さな丸の眼鏡が、個性的な蝶ネクタイを上手にまとめていた。
👓30代半ば・親しげな笑みの男性店員
落ち着いたシンプルな色のシャツからは、手入れの行き届いた清潔感。
丸い輪郭の顔に、存在感がある大きな黒縁の眼鏡がのって、親しげなのにオシャレさが伝わってきた。
👓30代前半くらい・控えめな女性店員
濃さの違うグリーンのシャツとジャケットを重ね着していたオシャレ上級者さん。
すこし離れ目のクリッとした栗色の眼鏡が、物腰柔らかさな話し方とも相性バッチリだった。
「似合う」ことのなにが良いって、
いつだって自然体なところだと思う。
「そのデニム、似合ってるね」
「ショートカット似合うよね」
見た目がしっくりときていて「似合う」こともあれば、
「春が似合うよね」
「海が似合うが人だよな」
醸しだす雰囲気が「似合う」こともある。
「ふたりはお似合いのカップルだね」
人と人同士が「似合う」ことだってある。
あたかも初めからセットであるみたいに、一緒であることが自然に感じられるから、不思議だ。
無駄な力が入っていなくて、それぞれがありのままの状態で、おさまるべきところにおさまっている。
そんな気持ちよさがある。
残念だけど、いつのまにか似合わなくなっていることもある。
つい先日、去年の春によく着ていたブラウスに一年ぶりに袖を通してみたら
「あれ、なんか違う」と感じた。
もしや、、太った?
一瞬、恐怖に駆られるけど、そういうことではなく。(いや、たしかに体型が変わって着れなくなることもあるけど笑)
一年経てば、前にはできなかった仕事ができるようになっていたり、
新しい趣味にくわしくなっていたりするかもしれない。
白髪が増えていたり、みなぎっていたやる気が萎んでいたりするかもしれない。
成長も、老いもするのが、人間。
その一瞬のタイミングや、経験や、嗜好で、顔つきや立ち姿、振る舞いも変わってくる。
すると、どこかで無理をしなきゃいけなくなって、それはもう自然体じゃない。似合わない。
自分が去年の春からどう変わったかなんて、わからないけど。
私の何かが変化して、そのブラウスとはもう「お似合い」ではなくなってしまった。
「似合う」って難しいなあ。危ういなあ。
そう感じていたところに、眼鏡屋の店員さんを見たのだった。
見ている私を幸せにしてくれるくらい、眼鏡がとてもよく似合っていた。
だから私は、感謝したい。
眼鏡屋の店員さん、似合ってくれてありがとう。
私にその眼鏡は似合わないけど、
あなたが似合ってくれて、ありがとう。
ありのままで自然体。
似合うことの気持ちよさを、店員さんを通じて感じた。
だから、店員さんにお願いした。
「私に似合う眼鏡、ありますか?」
店員さんは私の好みをききながら、4つの眼鏡を候補に出してくれた。
形も色も少しずつ違った眼鏡たちと、目が合う。
そうだ、私に似合ってくれる眼鏡にも「ありがとう」なんだ。
ずっと「お似合い」でいる保証なんてないけど、
今この瞬間、私に似合ってくれて、ありがとう。
似合うことの幸せに浸りながら、その日は眼鏡屋をあとにした。
店内にズラリと並んだ眼鏡。
私には似合わない眼鏡がたくさんあって、
私に似合う眼鏡も、わずかにあった。
それらすべての眼鏡が、今日もほかの誰かさんに、似合っている。
そう考えたら、また眼鏡屋に行きたくなった。
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