深山のキウイとの出会い③
香川県善通寺市の『深山のキウイ』でパートタイマーとして働いているカタヤマです。
キウイ畑の記録を残していきます。
働く、ということを考えた①
私は『働く=自分を無にして、その場から必要とされていることをして対価をもらう』ことだと思っていました。
自分の気持ちとか、考えとか、そんなものは必要ない。
組織運営において必要なのは、組織の理念と同じ方向を向いて全力でそれに取り組むことだと。
そういうことを『仕事』というんだと思っていました。
なので、以前に勤めていた会社では、勤務時間中はのっぺらぼうになった気持ちで働いていました。
自分がどんな人間であるのか、この場所にはまったく必要がない、邪魔なくらいのものなので、のっぺらぼう。
事務職という職種ということもあったのかも知れません。
まだ前世代の名残が色濃く残る職場で、私は『働く』ってことはのっぺらぼうになるってことなんだな、と思って過ごしていました。
そして、子どもを産んだ私は、『母親』になりました。
そうしたら、『母親としての自我』というものが、今までにない強さで体の芯から湧き上がってきました。
子どもを育てる、
子どもを守る、
子どもの成長を見る。
ホルモンの関係なのかなんなのか、それが私の存在意義で、自分の望みでした。
職場復帰をしたら、その私の顔を取り上げられて、もしくは塗りつぶされて、のっぺらぼうになります。
それも、自分でそれを選んでいる体で。
自分の中の『母親になった人間の自我』と『のっぺらぼう』が戦います。
それはもちろん、『自我』が圧倒的に強い。
でも、『のっぺらぼう』は自分が身につけた社会に入って生きる術なので、簡単な手放すわけにはいかない。
その葛藤が、最初のころに書いた『なんでやねん』の正体かな。
ということで、仕事を辞めて自我バリバリで過ごしてきた私は、のっぺらぼうになれる時間が限られています。
基本なりたくない。
なので、週3日午前中のみ。子どもの長期休みはお休み。
子どもの体調や都合でも休めること。
私のパートタイムのっぺらぼうはこの条件からのスタートでした。
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