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続・リハビリ & 続・本に救われる

ちょっとだけ「よくない」感じがする。いや、でも、気のせいだと思う。うんうん。

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夜中、1時過ぎ。ものすごい雨音で目を覚ます。
最初は心地良くて聞き入っていたのだが、やがて(勝手な話で申し訳ないが、ちょっと)やかましくなり、そのうちに少し危険な感じもしてきて、窓を閉める。
(南側の部屋の窓も閉めなくちゃ)
と思って立ち上がると、腰が痛い…。
ぎっくり腰ではないが、なんか昔話に出てくるお爺さんみたいな歩き方で情けない…。

で、朝起きてみると、やっぱり腰が伸びない。
顔を洗うために腰を屈めることも難しいし、ズボンを穿くのもひと苦労だったが、それでも、起きて20分ほどで部屋を出、朝からの仕事も何とかこなすことができた。(バレないように、バレないように…。σ(^◇^;))

職場は、(一番喧しい(同い年の)A氏がお休みだったから)ゆっくり働ける環境にはあったはずなのだが、それでもやっぱり気持ちが乗らず、午後から帰ってきてしまった。ダメだなぁ…。

そして、帰宅して顔を洗おうとすると、今朝からの腰痛はまったく嘘のように消えていて、これまた、(いかんなぁ…。)と思う訳です。

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帰る前、お昼ご飯は近所のパン屋さんで買って帰ってきた。
小学校(学童クラブ?)が見学に来ていて、エプロンと三角巾を着けた(たぶん異学年の複数の)子どもたちが厨房に入っていく賑やかな様子に、(うちの息子はもちろんもう小学生じゃないんだけれど、)なんだか涙が込み上げそうになる。(そうそう、今朝は息子の夢をたっぷり見たよ♪)

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その後、コンビニを経由。「妻」宛てに、扶養手当を振り込むため。
でも、コンビニのATMじゃ無理なのかなぁ? 「預け入れ」だっけ? 4つくらいしか画面にボタンが出てこないんだけど、「預け入れ」ってのは自分の口座にお金を入れるやつよね? 早く入金しないとまた「妻」の機嫌を損ねちゃうかなぁ…。(>_<)

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(こないだここで下書きした手紙みたいな)手紙を添えて息子に本でも送ろうかなと思い、扶養手当(現金)はその本の間に挟んじゃおうかとも(実は先日来)思っているんだけれど、

「現金を、こんな感じで送らないでよね。」
「これからも毎月こうやって送ってくるつもり? しんどいから、止めてくれる? 普通に送金だけしてくれればいいから。あなた、そんなこともできないの…???」
「**くんにこういうかたちで託すの、止めてくれるかなぁ?」

なぁんてことを言われそうな気もして、それもまたそれで躊躇われる…。

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 面会交流は子どもにとって、離れて暮らす親と接する大事な権利の一つです。養育費にも同様の面がありますが、面会交流は、その権利をより直接的に実現するものです。
 ところが日本では、面会交流は、離別親の権利と思われがちです。もちろん離別親にも子どもに会う権利はあるでしょうが、面会交流は何よりもまず、子どもにとっての権利です。そのことを日本では、離別親も同居親も忘れがちなようです。
 養育費よりは多少ましですが、面会交流の実施率も低い状況が続いています(母子家庭で約30%、父子家庭で約46%/平成28年度全国ひとり親世帯等調査より)。原因はいろいろありますが、同居親の意識や、同居親へのサポート不足という問題がまず考えられるでしょう。
 同居親にとって面会交流は、基本的に面倒、あるいは不快なものです。子どもが小さければ、日程や場所を決めるため思い出したくもない相手と連絡を取り合わねばなりませんし、面会場所まで子どもを連れて行かなければなりません。子どもが離別親に会うと考えるだけで、辛くなる人もいます。同居親が自ら積極的に行いたくなるようなものではないのです。
 子どもたちもある程度の年齢になれば、そういった同居親の気持ちは分かるので、離別親に「会いたい」と思っても、言い出さないことがよくあります。言えば同居親を苦しめてしまうので、その思いを封印してしまうのです。そのため「会いたいかどうか、わからなくなった」という子どもも多いと感じます。

『子どもの人権をまもるために』2018、木村草太・編、晶文社/pp.122-123

ああ、これ、うちの息子も言ったらしいよ。「妻」が、そう言ってた。

 ところが、子どものそのような態度を見た同居親は、「子どもは離別親に会いたがっていない」と単純に判断してしまい、離別親から「子どもに会いたい」と要求があっても子どもに伝えず、自分だけの判断で申し出を断ってしまうことがあります。
 子どもたちのなかには、勇気を出して「離別親に会いたい」と言ったものの、同居親に怒られた、あるいは殴られたという人や、離別親から届いた手紙を隠された、目の前で破り捨てられた、などの経験をした人もいます。

同上。先ほどの続き(p.123)。

いや、「うち」はそれは無いだろうと思うけれど。

 こういった現状を考えると、内心では望んでいても「会いたい」と言い出せない子どもは、いまも多いでしょう。やはり子どもの意思が尊重されているとは言い難い状況です。
 なお一方では、「離別親が面会交流を要望してこないから、面会交流が実現しない」というケースも多々あります。
 ニュースなどでは、面会交流を求める離別親の活動等が報じられるので、離別親はみんな子どもに会いたがっているように見えるかもしれませんが、実際に離婚家庭の子どもや同居親に話を聞くと、単に「離別親が何も言ってこないから、面会交流をしていない」というケースが多いことを感じます。離別親の消息すらわからない、ということもあります。
 子どものほうは、離別親から連絡がないことを気にしない人もいれば、ひそかに傷ついている人もいます。離婚する前から子どもに無関心だった離別親に対しては、それほどでもないようですが、一緒に過ごした思い出がある離別親が、離婚後に連絡を絶ってしまったような場合には、子どもは複雑な気持ちを抱いているのです。

同上。pp.123-124。

私はやっぱりそもそも「離別親」、なんだろうか…?

 面会交流は子どもが親に接する権利でもありますが、子ども自身は面会交流が行われること以上に、「子どもの意思を尊重する」ということを大事にしてほしいと感じています。

同上。p.125。

私は、会いたい。
別れる「昨日」まで、あんなに一緒に遊んでたのに。

家を出るときに息子の頭を撫でた感触が、今もこの手に残っています。