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サヨナラ。

「サヨナラ」が寂しかったので、晩ごはんはプチトマトです。寒い…。

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全然これとは別の「サヨナラ」なんだけど、10月くらいに止めた新聞が、実は未だ玄関の上がり框(がまち)にビーバーが築いたダムのようになっていて、今日はそれを半月分くらい片付けた。
新聞と広告とを分けて、新聞は表紙だけを見て折り畳んでいくつもりが、ついちらちらと読んじゃって、なかなか捗らない…。

(思想信条に関わること(のよう)ですが、)うち、*日新聞です(でした。)。
一面の、大岡信さん(1931-2017)の「折々のうた」(1979-2007)が終わったときにひとつの時代の終わりを感じ、その後、鷲田清一氏の「折々のことば」が始まったわけですが、私、鷲田清一さん大好きなんだけど、それでも、「スナックのママのことば」とか「公園で聞いた子どものことば」とかあって、
「大丈夫かよ、これ…?(苦笑)」
って思ってたんだけど、今日はそれを束ねようとすると、ついそこばかりを読んじゃう。

年を取るとただあるだけで、それに就(つい)て何か理屈が付けたくても付けられないものが段々好ましくなつて来る。(吉田健一)

絶望の姿だけが、その人の本格的な正しい姿勢なのだ。(金子光晴)

「人間は、思ったり、したり、できはしない」(青山二郎)

新聞、もう一度取りたいな(取れるような生活に戻りたいな。)。

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これも今朝束ねた9月はじめの新聞。
大阪高槻市で、多額の生命保険に加入した養母(当時54)を養子である元生命保険会社社員の男性(28)が殺害した(その彼が留置所内で自殺を図った)というニュース。これ、NHKのニュースはずっと「生命保険会社の元社員が」と言い続けてたんだけど、「なんで『養子は』『息子は』って言えないんだろう?」って思っていたら、*日新聞には「養子の男は」って書いてあった。だよね。そんなことをあれこれと考えていたら、いっかな片付きませんでした…。(苦笑)

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「さよならなんて云えないよ」(オザケン)って感じだよね。