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アストロメリア。

8時半、起床。上の部屋のシャワー(洗濯機?)がうるさくって。じゃ、ないな。「ああ、もう起きて頑張ってらっしゃるんだな」と思って、かな。寒いけど、ベッドから出る。

妻のこと、妻への連絡のこと、そればっかりを考えている。
「昨日メッセージを送ったとおり、さっそく電話しよっかなぁ」とか、「いやいや、こここそは「保留」、「ウェイト」、「我慢」かなぁ」とか。(メッセージはたぶん読んでないし、読んでないという「前提」なので。)

でも、昨日の様子ではもうまったく「見込み」は無いのである。
「私が家を追い出されるとき、「週末に帰って来れたり、一緒にごはん食べたり、旅行とか行けたら」ってあなたは言ってたけど、そんなことはもう考えられない感じ?」
と訊くと、
「うん、そうね。」
と余所の方向を向いて言われるし。(そんなん、詐欺やん…。)

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私に対する妻の「当たり」が(病的に?)きつくなったのは、(その兆候は去年の今頃からあったような気もするけれど)追い出される直前の2か月くらいのことだった。コロナの影響か、アパートに引き籠もりがちだった上の息子を家に呼び戻すのにも、私も、「そうだね。その方が安心だよね」って納得をし、協力もした。(いや、「協力」はほとんど何もしてないかな…。ガスや電気の契約、最初の、身の回りの荷物運びもすべて妻がやったので、私に対しては「何も協力しないヤツ…」という思いが強くなったのだろう。でも、それは、妻と下の息子が「泊まりで行ってくるわ」と言ったからであって、私は協力を惜しみたかった訳ではない。)

娘が大学入学で部屋を探すときも、引っ越しをするときも、ほぼすべてを妻がやった。それも根に持たれている。でも、「行こうか」って言ったよ。キミは「**くん(=下の息子)と一緒に留守番してて。」って言ったやん。だから私たちはなるべく楽しく「銃後」(なんて戦争言葉はあまり好きじゃないんだけれど。)を守ることに徹していたのに。

上ふたりの大学入試についてノータッチだったことも責められた。
でも、これについても、「私は得意分野だから、模試の成績とか見せて欲しいなぁ」とか言ったけど、それさえ一度も無かったやん。上の息子が推薦で適当なところで手を打とうとしたとき、「いやいや、3月まで頑張れ!」と言ったけど、「いや、この子にはその力が無いから」と言って早々に大学を決めたのはあなたやったやん。

…そんな話を2月、3月、追い出される前には少しした。彼女も多少「理解」「納得」する節はあったようだった。

だけど、そのころまた癖のように呟いた私の「出て行きたい」「家に居場所が無い」発言を言質に取られ、「じゃあ、出て行きなさい」「いつまでに出て行くか決めなさい」となったのである。(ネットで部屋まで探され、メールでじゃんじゃん送られてきた…。(ーー;))

前にも書いたかもしれないが、出て行く数日前、彼女から、
「ここしばらく、あなたにはひどいことをしたと思う」
「あなたをみて、抱きしめたいと思った瞬間もある」
と言われた。でも、そのときはさすがにもう、
「申し訳ないけど、そんなことされたら私は怒っていたと思う…。」
と応えた。

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下らないことばかり書いてしまった。
でも、だから今、「the end」(「THE ALFEE」じゃないよ。)の電話をするのが躊躇われるのである。ここで決めちゃっていいのか、と言うこと。

でも、正直「ほとほと疲れた」というのも事実。さすがに、もういいかな…。修復の余地無し、のようだし。
だけど、電話を掛けるタイミングにも悩むのである。曜日も、時間帯も。「週の初めからイヤかなぁ」とか、「今はみんなでご飯どきかなぁ?」とか。嗚呼、損な性分だ。

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ビバーナムではなくて、こっちはアストラゼネカ。あ、いや、もとい。アストロメリア。咲き切った花を摘むと、次の花が開く。楽しい。

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(お昼にはこんな姿に♪)