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ともだちがいれば、このさきいきていける。

9/20 「しんどいときには吐き出そう。」|@taichinakaj #note

頭が疲れているときほど、(休めばいいものを)なぜだかもっと情報が必要になり、納得できる答えが欲しくなる。YouTubeを見て、ブログを読み、ありがたい情報を受け取ってしまいがちだけれど。。

パンク寸前の、思考する力の残っていない脳に、これ以上いったい何を入れようというのだろう。受け取るのではなく、毒を出さなければいけない。手放さなければいけない。捨てなければいけない。そうじゃないだろうか。

頭で納得して、なんとなくスッキリしたような気がしている。それは、ただ脳を誤魔化しているだけかもしれない。その言葉巧みな誰かに、問題を解決してもらえると信じ込み、あるいは問題など初めからなかったかのように思い込み、それは、依存の始まり始まり。

でも、現代において、それは仕方のないことだよなぁ。みんな、がんばって生きてる。みんな、何かに依存しないと、やってられないよなぁ。

毒を出すことは難しい。ストレスを発散するつもりが、さらにストレスを溜めることだって、日常茶飯事。今は大した問題ではないかもしれない。でも溜まり溜まったストレスは、いずれ悪さをするだろう。

新しい仕事を始めた。私より若い人が大半で、みんなとてもキラキラとしている。仕事を楽しみ、よく笑い、よく動き、よく周りを見ている。気を使って助け合うのに、よそよそしさもなく、友だち同士が連携して、部活動をしている感じだ。

私はというと、臆病で、引っ込み思案で、声が小さくて、冗談も言えなくて、人に迷惑をかけないようにと周りを見ているのに、空回りしてしまい、逆に気を使わせてしまい、雰囲気を重くしてしまっている気がする。

素敵な人たちに囲まれていながら、相対的に自分を蔑んでしまう。私なりに、頑張っている。でもそれは、喜ばせることより、迷惑をかけないことにフォーカスしているのだろう。心がガチガチなのだ。

何が言いたいかと言うと、友だちっていいなってこと(笑)シンプルだね。友だちっていいな。昔をなつかしんで思う。当時だって、そんなに心を解放して楽しんだ覚えもないんだけど。だからこそ人との関わり方が分からない。今までがそうであったように、よそよそしく、かろうじて会話を続けることしかできない。

友だちだけじゃない。家族だってそうだ。自分の気持ちはおろか、日常的な会話すら、うまくできない。しゃべるという行為が恐ろしく苦手だ。そうやって生きてきたから、そうやって生きていくんだろうと思う。

でも、それでいいんだろうか。人との関わりが人生を作っていく。一人旅をしても、創作をしても、それを共有する誰かがいないのであれば、心から満足できるとは思えない。

たくさんの人と出会ってきた。だけど私は、彼らとどんな思い出をとつくってきただろう。

自分の弱さや欠点について考えても、誰かにアドバイスを求めても、より良い答えが見つかったとしても、それはきっと役に立たない。

友だちのいない人生。自分の思いをそのまま口にできない人生。笑うことのない人生。その人生に味気はあるだろうか。

ネガティブが止まらない。まずはしっかり疲れをとって、楽しいことができる心と体を取り戻そう。話はそのあとで。


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