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先生とゲマトリアを同類扱いしたい

 ちょっとずつ読み進めていたブルアカのストーリーもいよいよ佳境を迎えた。具体的には、「あまねく奇跡の始発点」がアンロックされた。これつまり、FGOで言うところの一部七章が終わったあたりってことだよね!(スマホゲーの例示に乏しい男)
  まぁ、そろそろいっぱしの先生ヅラをしても良いだろう。ブルアカの話をする。

 本当は、エデン条約編の三章が終わったあたりで記事にしようと思ったんだが、まとまらなかった。ついついブルアカ全体の話をしそうになって退屈な記事になってしまったのだ。
 なんでこうして、とりあえず先にブルアカ全体についての話をまとめることにした。

 記事タイトルで触れているゲマトリアというのは、ブルアカに出てくる悪い奴らである。もっと言えば、「悪い大人」だ。そう、大人なのだ。ブルアカは、大人か子供かを厳正に区別している。

 ブルーアーカイブは生徒の物語である。青春の(ブルー)物語(アーカイブ)ってくらいだからね。女の子たちが友情の力で困難を突破する、ガルパンやラブライブに近い文脈の話だ。

 例えばFGOなら(スマホゲーの例示に乏しい男)、意思決定を行うのはマスター(プレイヤー)であり、サーヴァントはマスターが意思を貫く為の装置だ。
 ブルアカは、意思決定はあくまで主役である少女たちに委ねられる。先生は、その背中を押したり、大人としての助力をする立場だ。実は、先生がいなくても成立するエピソードはそれなりにある。

 で、学校同士がそれぞれのシマやシノギを巡って争うので、不良マンガみたいな文脈も持つ。本当はもう少し複雑なんだけど、そういう解釈で問題ない。

 そういう、『美少女HiGH&LOW』を透き通るような青色の世界観でコーティングしたのがブルアカだ。そこで少女たちは自身の大切なものを守るために争い、思い詰め、時には誤った決断を下す。

 そんな展開を目の当たりにして、頭をよぎるのはこんな言葉だ。

「貴虎に教わらなかったのか? なぜ悪い子に育っちゃいけないかその理由を! 嘘つき、卑怯者、そういう悪い子供こそ、本当に悪い大人の恰好の餌食になるからさ!!」

仮面ライダー鎧武 戦極凌馬

 聞こえてるかサオリ。こういうことなんだ。
 まぁでもアリウス四人組はどっちかというとガンダム00の少年兵みたいな感じだったな。ありもしない憎悪を植え付け、選択肢を奪う。これも大人のやり方だ。

 ブルアカの生徒たちはみんな強い。圧倒的な暴力装置だ。それでも、彼女たちは悪い大人に騙され、搾取され、利用される。悪い大人っていうのは、暴力を行使せずとも相手を良いようにできるずるい方法をたくさん知っているからだ。
 その悪い大人の代表がゲマトリアだ。大人の悪知恵を前に、子供たちは無力である。先生は、そんな大人たちと同じフィールドで戦うことができる。

 先生がどんなことをしてきたか。
 もちろん、生徒に指揮を出すとか、大人のカードで生徒を召喚するとかもあるんだけど、個人的には「自分の立場を利用して交渉を持ちかける」とか、「条文を良いように解釈して、条約(儀式)の内容を捻じ曲げる」とかしているのが好きだ。「大人」のやり方って感じがして。

 僕は、先生とゲマトリアは割と同質の存在だと思う。ゲマトリアの連中はいまいち何をしてるのかわからないし、なんで子供たちの邪魔をするのかも、割と曖昧だ(最終章でわかるかも)。
 でも、子供から見た大人って、割とそんなもんじゃない? なんかよくわかんないけど、邪魔してくるだけの存在じゃない?
 でもその中に、なんか話を聞いてくれる物分かりの良い大人もたまにいて、それがシャーレの先生だ。先生は、「生徒を助けるのは大人の仕事」だという意外に、その行動原理をほぼ語らない。たぶんプレイヤーのアバターに偏ったキャラ付けをしないための配慮なのかもしれないが、個人的にはもうちょっと掘り下げて欲しい。

 でも僕は思った。大人ってそういうもんじゃない?

 公式がどこまで考えてるのかわからないけど、僕は「大人の行動原理はわからない」という点にらおいては、先生もゲマトリアも大して変わんないなと思った。
 たまたま行動が善意であっただけで、先生もゲマトリアも、本質的に同じ存在なのではないか。つまりキヴォトスにおいて「大人」としての役割を持った何かだ。

 ゲマトリアの連中も、別に肉体的にはさほど強そうじゃないのが好きだ。彼らの武器は大人としての立ち回りであって、銃を振り回す必要はない。そういうところも、先生と共通している。ベアトリーチェは恥を知りなさい。

 これは考察というよりも、僕がそういうのが好きだという妄想の垂れ流しである。たぶん見解としては正しく無いと思う。
 仮面ライダーが好きだから、「たまたま善人であっただけの、本質的には敵と同じ存在であるもの」が好きなんだよね……。デカルコマニーはどう思う?

  

 ありがとうデカルコマニー。

 ブルアカは面白いし、先生と“大人”の扱いも作品にはハマってて良い。個人的な好みとして、こういう“大人”の描き方が好きかと言うと、まぁそれは普通かな。特別性癖というわけではないかも。でも、前述した通りブルアカの作品を見る上では、この描き方が好きだ。
 どちらかというと、理不尽に立ち向かう子供の足掻きが好きなので、それに付随する要素としての好きが近いかも。

 これはもう完全な余談なんだけど、ブルアカは当然ながらプレイヤーも大人を想定している。生徒たちの青春の物語を眩しく眺めながら、その輪の中心には決して入らない大人の回顧録。言葉を選ばず言えばド陰キャ向けのゲームだ。
 「天気の子」を見終えた時に、「大人として帆高たちを救えなかったのか」と、ほんの一瞬でも思ってしまった傲慢なあなたには、大人のカードを手にキヴォトスを訪れる資格がある。

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