町民であるという意識

大熊町に住み始めて3年半あまり。よく思う。これまで、こんなに「町民」であることを意識したことがあったか、と。
私は長崎の小島の出身であり、合併して町の名前が「自治体名」としてはなくなった今も「崎戸出身」という意識はある。が、崎戸町民として自分を考えたことはあまりなかった。中学卒業とともに島を出たからなのかもしれない(町ではなく島を出たという意識)。
その後、社会人となって、異動とともに1~3年位のスパンで引越しを繰り返し、都度住民票も移してきたが、正直、「青森市民」「中野区民」「福島市民」などと自分を意識したことはなかった。みなさんはどうですか。

そして今、私は「大熊町民」である自分を結構、主張している。

2011年3月に全町避難となってからの措置として、大熊町には基本的に転入できなくなった。当然だろうと思う。住む町がないのに、転入する理由は本来ない。例外は、町民との結婚か出生。
だから町に住めることになったとき、私は「町民」になることに結構こだわった。この転入に対する過剰な意識がそもそもなかったものだ。

以下、私見だと強調した上で。
今、大熊町には3種類の「町民」がいる。区切りはやはり3.11。その前から町民で町に戻った人(帰還町民)、戻らない人(避難先の町民)、そして震災後に移り住んできた町民(移住者)、だ。ほか、住民票は移していないが、町に住んでいる人もいる。
そして、移住者(私)は「町民といえば3.11前の人たち」という劣等感と謙虚さが混じった気持ちを抱き、避難先にいる町民は「おいおい、俺らの大熊はどこ行っちゃうんだよ」という戸惑いがある(ように思う)。「3.11」時に何者だったかは知りたいし、重視しちゃうので、気を使いあったり、距離を取ってみたりして、そして、私の場合は「私も町民ですけど!」と主張したりしている。いいか悪いかはその時々だと思うが、
帰還町民にはあまり主張していないことに、ふと気づく。

この主張が時間とともにちょっと強くなったりして、本来なら言わなくてもいいことを言っていることに、考えこんだりする。つまり「町民ってなんなんだ!」。

攻撃的にとらえられることもあると理解しつつ、今の自分の気持ちを記録しておくと、私の根本には、自分の島を離れた高校時代、帰省した時に利便性その他もろもろのために整備されていく防波堤とか、新道を作っての旧道の廃止とかで変わっていく町の風景に「寂しいな」という気持ちがあって、でもその時「それは住んでいる人が決めること」と思った、自分なりの「区切り」がある。それを認識したときの、親が旧道を運転する車窓の風景も覚えてる。もはや今は帰省しても使うことのないあの道。
自分で選んで島を出た私の気持ちと、強制的に暮らしを奪われた大熊町民の町への愛着を重ねるのは乱暴だと分かっている。
考え続けている。「町とはなにか。町民とはなにか」

私が、自分のふるさとについて口を出したいならば、私はあの島に帰らなければならない、高校時代からずっと抱いている、私の感覚では。そしてその感覚に、今もって違和感がない。
一方で、土地は今住んでいる人達だけのものではないということを、私は大熊に関わって知った。土地の視点でいえば、住人は「町民」であろうがなかろうが、常に変化してきた。私が何者であるかに関わらず、土地の記憶は継承した方が、多分暮らしに便利だし、何よりおもしろいのだ。

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