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零と一の話。

伝える文を書きたい。
登場人物が感じているであろう感情や、声、世界。そんなものが肌に伝わってくるような、私が頭の中でつくっている世界をそのまま見せるような文章が書きたい。難しいことだと言うのは、自分が一番理解している。私はあまりにも勉強不足だ。語彙を増やすにも知能がいる。こういう時、ちゃんと学校に行っていればよかった、と後悔する。こういう後悔というものは、学生のうちにするようなものじゃないと思うんだけれど。
私が突然このnoteを始めた理由は、とても単純。零から一を何かを生み出す練習だ。
今まで二次創作でしか文章を書けたことが無い。一次創作のオリジナルキャラクターは、設定だけを背負った張りぼてだ。それはあまりに無責任だし、何より夢を叶えるには二次創作ばかりやっていられない。生きていくにはお金がいる。
創作者側の人間って、いると思う。誰でも簡単に物を生み出せる訳じゃないし、どう頑張ったって何も出てこない人もいる。自論なので、当然異論はあると思うが。私はきっと、創作者側の人間じゃない。作る側ではないと、作っていて思う。私の文はいつだって色んなものの寄せ集めだ。書く度に好きな字書きさんの文体に寄っていっている自覚はあるし、シチュエーションだってそうだ。その人が書いたものばかり書いているような気がする。いつかパクりだと糾弾されてもおかしくないくらいだ。そういう色々を踏まえて、私は創作者側の人間では無いと思っている。これは悲観ではなく自己分析、言わば俯瞰だ。生み出す側でないからと言って泣いているだけでは何にもなれない。そうじゃないのなら、生み出す側に近づく為に努力するほかない。それはあまりに理不尽なようにも思えるが、楽しくもある。もっと他の努力も楽しいと思えたのなら、私はおそらく今ここにはいないだろう。
思いついたことを思いついたまま筆を走らせるのは楽しいが、読んでいる側はきっとそんなに楽しくはないと思うのであとひとつだけ話して終わりにする。
私がnoteというものを始めるに至った理由は先述したが、理由ではなくきっかけのお話。
私がnoteというものを知り、執筆するに至ったきっかけ。それはにじさんじ所属のVtuber、家長むぎちゃんのnoteだった。彼女は綺麗な世界を見て、綺麗な文章を綴る。しかしそこには綺麗さだけではなく、人間味もある。その人間味が彼女と私の距離を近付けているような錯覚に陥り、そしてその錯覚はひどく心地良い。これを読んでくれている方、もし気になったら一度覗きにいって見てほしい。当然Vtuberなのでそういうお話もあるが、彼女のnoteは基本日記のようにぽつぽつと日常について書いているので何も知らない人も読みやすいと思う。
こういう文章の終わり方をよく知らないので難しいが、この辺りで終わりにさせてもらおうと思う。
これから私はここで、日々起こったことを書き綴るかもしれないし、一次創作の物語を書くかもしれない。方向性はまるで決まっていないが、とにかく一を生み出す練習に励もうと思う。まずは不定期に、のんびりと。いつかは定期的に書けたらいいな、と思う。目標は低く、確実に達成できるものにするに限るのだ。
ここまで読んでくださった方、お付き合いありがとう。またいつか。

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