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躁鬱(双極性障害)の人へ 治ることを諦めた私のはなし

躁鬱の人の症状は人それぞれですので、実際に1型を患い入院経験がある私が、どのように安定を保っているかを書いていきます。


私の場合、躁が来ると鬱が来るのですが、その波が大きいほど、鬱の谷が深くなります。これはよく本に書かれている通りですね。


躁状態の時、どんなことを考えているかといえば、私の場合は、子どもがいるので教育とか社会に対しての怒りがあって、なんとかしないと!と勝手に色々考えてしまいます。実現不可能な誇大妄想に取り憑かれる感じです。


躁状態になっても、薬を飲めば割とすぐに落ち着き、やがて鬱になります。鬱になると、一切の興味関心が失われ、気力もなく、一日中寝て過ごす状態に。子どもさえもうるさく感じ、近くに来ないで欲しいと思ってしまいます。


鬱の時に感じること

  • 情けなさ(他の人はちゃんと子どもを育てているのに・・)

  • 罪悪感(何もしないでいることに対して)

  • 焦り(ずっとこのままだったらどうしよう・・)

  • 絶望(もう終わり、これから楽しい日々があると思えない)

  • 惨めさ(何でこんなことになっているんだろう、悲しい)


このような感情がグルグル一日中回っています。こんなことを考えていると、希死念慮が出てきます。でもこれは「死にたい」ではないんです。


こんな自分だったら生きていけない、という方が近いと思います。鬱の時に、「悔しい」とか「つらい」とか毎日おんなじこと言いながら、メソメソ泣いていました。


でもあるとき、泣いても思っていることを話しても、何も変わらないことに気づきました。なんなら、パートナーがうんざりしている、と。


気が済んだというのか、嘆き切ったんです。それから、考えられるようになってきました。鬱でグルグルしている時は、認知が歪んでいて、全てネガティブに捉えていました。


鬱の時にやってはいけないこと

  • 考える

  • 勉強する


鬱の時には考えられません。鬱の時の自分の考えに頼りきらず、信頼できる人に相談した方がいいです。


治りたい気持ちで、病気についての知識を得ようと本を読んだり、youtubeを見て勉強したくなるかもしれませんが、鬱の時にはネガティブな影響を受けやすく、正しい理解ができないので、オススメしません。


鬱と相性が悪いのは「(鬱だけど)頑張る」です。「休む」「無理をしない」「出来ることだけやる」「時間が解決する」といった方向の方が安定しています。


鬱の時の焦りって、人からどう思われるか?なので、それから自由になっておくと楽です。子どもの世話ができなくて、子どもから嫌われるなど、事実じゃないことに悩みます。


いつも出来ることが、鬱でできないのは普通のことです。あなたがダメなのではなく、鬱のせいで、症状です。


躁鬱の対策として言われているのが、躁を防ぐこと。

それぞれに、躁の出だし、みたいなものがあると思うのですが、私の場合は、

  • アイデアがたくさん浮かぶ

  • 怒りが沸く

  • 眠れなくなる

  • 体重が減る

  • 誰かに連絡したくなる


もともと考えるのが好きで、アイデアが浮かぶのですが、たくさん浮かんできたら、躁っぽいなと、考えるのをやめます。


怒りは、ニュースなどが発端となるので、あまりニュースを真剣に見ません。2日続けて眠れない、となると危険なので、必要なら薬を飲んで寝てしまいます。


症状が出た時には、体重が減ったので、毎日体重を計って増減をチェックしています。躁が出やすいのが春から夏にかけてなので、特にこの時期、減らないように気をつけます。


誰かにふと連絡したくなったら、躁っぽい、と思ってやめます。ごく親しい人としか連絡はしないのと、基本受け身です。


躁鬱(双極性障害)があっても安定して生活するためには、知識と動きの両方が必要です。動きとは、実際に手を動かして作る、体を動かして作業するなど。思考ではなく体の感覚を使うものです。


実感も大事なので、何かを作る、写真をとるなどして、目に見える形で記録しておくと、後から見返すことができ、日々の生活から満足感を得られます。


病識をしっかり自覚するのが大事ですが、躁鬱の場合は治るものではなく、自分の性質だと受け入れた上で、その性質にあった生活を自分で作っていく必要があるのだろう思います。


対人関係のストレスは、パートナーにお願いして、最初から避けられるものは避けます。

ストレス

  • 大勢の人と集まる

  • 役員を任される

  • 家事負担


生活リズムは毎日同じで、ざっくり日課を決めて、その通り過ごします。ラジオ体操、文章を書く、植物の世話など。


ちなみに、単極の鬱には朝散歩が勧められていたりしますが、私は朝散歩すると、気分が上がりすぎるのであえてやらないようにしています。


躁鬱(双極性障害)と診断されると、ショックですね。私もショックを受けて、すごく落ち込んだし、嫌で嫌でたまりませんでした。


でも気づいたんです、なぜショックなのか。それは、私の中に健常と障害、正常と異常、そういった線引きがあって、自分がマイノリティになってしまった、という感覚があったからです。


実際には、どんな人も、ある角度から見ればマイノリティだし、正常〜異常はグラデーションになっていて、社会によっても判断が変わるものだし、良いとか悪いではなく、今そういう状態だ、というフラットな見方が必要なのかもしれません。


他人への差別や偏見は、自分がマイノリティ側になった時には、他人からそう思われていると思い込みの元になりますね。


これに気づいたら、落ち込んでいたのは、病気そのものに対してではなく、人からどう思われるか?に怯えていただけ、とわかりました。


目指していくのは、躁鬱になる前の、みんなと同じような生活、ではなく躁鬱でも無理なくできる楽しみもある生活ではないかと思います。


症状も辛いけれど、“治らない”を受け入れるのところが辛かったです。でも、躁鬱を自分の一部にしてからの方が、変化に敏感になり、適切にケアできて、安定し、自分も周りも困らなくなりました。


治ることを諦めたら、安定したようです。








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