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昨日の世界

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文章を書くこととアイディアを出すことを毎日するために、 #昨日の世界 を書き始めました。Wordleを解いて、その言葉から連想される物語を、解くのにかかった段数×140字でその日…
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2023年4月の記事一覧

夏の思い出①

 夏休み明けの1発目のランチの時間にみんなで部室に集まった。話は休み中に彼氏彼女ができたかになって、盛り上がってきたところで3限になってしまったからみんなわーっと出ていき、たっちゃんと私だけが残った。 「たっちゃんさ、さっき、すごく変な顔してたけど、大丈夫?」 「…わかった? 実は…」  弟が来年受験だから、その家庭教師をするように親に言われて、実家に帰ったんだ。少しお小遣いをくれるって言うし、ご飯の心配をしなくていいし。  帰省してみたら、弟は夜には塾に行くから、昼に教え

記憶の街

「着いたねー」 「着いたついた。いやー」  駅ではかなりの人が降りた。どれも観光客らしく、大きな荷物を抱えている。繁と里花も荷物を持ってホームからの階段を降りた。  改札を出てから祖父母の家の方に向かうのは右だったか左だったか、繁は一瞬わからなくなった。左の、海の方だったはずだ。 「何にも無いって言ってたけど、違うじゃん」  里花が土産物屋を覗きながら言っているのを聞き流しながら記憶の底に潜っていく。  第一、ここまでは車で来ていたのだから、ホームから降りてくるということがな

夢の中で駆け抜けて

「やっぱり私、最後に死ぬべきだったと思うんです」  胸の中で泣きじゃくっているのを、そうだね、大変だったね、よしよし、と頭を撫でながら慰めている。でも、とにかく早く終わって欲しい。早くヤりたい。  夢の中だというのはさっきから分かっている。そうでなければこの子、私の小説の中の登場人物であるこの子とは出会えるはずがない。でも、なんてリアルで、なんてかわいくて、なんて温かいんだろう。こんなに私がこの子を愛しているなんて思わなかった。  だから、早くヤりたい。  でも、この子はさっ

首都地下鉄D線

 用事ができたのでD線に乗ることにした。用事でもできなければ乗らない線である。  駅には早く着いた。改札を潜ってホームに出るとがらんとしている。地下だから見ているものもない。1時間に1本だから乗り遅れると手の打ちようがないし、まあ、仕方がない。  トンネルの中で空気がごうごうと鳴っている。後から来たのは2人だけで、1人は向かいのホームにいる。時間になっても電車は来ない。濡れた靴が不快になってきた。  5分経って電車が来た。1時間に1本だしひょっとすると混んでいるのではないかと

宮野前さん

 一応、希望の部署は出すけれど、4月の研修が終わってから配属先が決まる。一応、渉外で出しては見たけれど、OJTの山村さんは財務だったから、財務でもいいかな、と思い始めた。OJTを任されるだけあってキラキラしていて、しかもそれに不自然さがない。私はそこまで頑張るつもりはないが、なんとなく、こういう人が無理をせずに働けているところはいいんじゃないかと思った。  今日は庶務に回された。  いろいろと係長に教えてもらいながら、フロアを眺める。そんなに大きくないフロアで、話を聞いてい

ラットレース④

 ようやく岸に上がった時には思ったより人がいた。陸上のクルーたちと抱き合って喜んだのも束の間、記者たちに取り囲まれた。おめでとうございます、今はどんな気持ちですか、それを誰に伝えたいですか、今後の予定は。同じ質問の繰り返し。喜ぶ暇もない。 「おめでとうございます」 「ありがとうございます」  質問を聞き流しながら答える。そうですね、はい、はい、ありがとうございます。 「途中、ネズミの話をされていたそうですね」  時が止まった。しまった、聞かれていた。 「はあ」 「それは何か理

ラットレース③

 広い大海原に一人。荒れ狂う海に一人。それの意味は本当に経験してみなければわからない。  例えば、山の様な波が、というのはよく聞く。それは船に乗っている時に、ある程度自分に高さがある時に言うことであって、海面と同じ高さにいる場合、波は壁だ。自分にまっすぐに向かって来る壁。  それを、一人で一つずつ通り抜けている。壁が来る前に息を吸い込み、壁の中で息を止め、通り抜けたらまた息を吸い込む。その間、手はずっとオールを動かしている。カヤックが前に行っているか流されているかを考える余裕

ラットレース②

「動くな! そこでじっとしてろ! 二度と動くな!」  叫びながらオールを回す。  ネズミの食害はみるみる内に拡がっていった。何か一つを食べ尽くすということはしない。少しずつ齧っている。齧られた部分を捨てて残りを食べる。もちろん、食べ物はギリギリしか積んでいない。捨てれば捨てるほど陸地は遠ざかり死は近づいて来る。  どうにかしてネズミを追い出すか止めなければならない。しかし、姿も見ないし声も聞かないものをどうしたらいいだろうか。そもそも、本当にいるんだろうか。  姿を確認するに

ラットレース①

 この船にはネズミがいる。  もちろん、どんな船にもネズミはいるだろう。  しかし、これは大西洋横断のカヤックだから、ネズミが潜り込む隙間は無いはずだ。  しかし、いる。  最初に気づいたのは足だ。足の指の先を何かがくすぐるというのを海に出て20日目に思った。もしかしたらそれまでにも感じていたのかもしれない。しかし、自分の感覚として確かに受け取ったのは20日目だった。まるでネズミの様だと思い、慣れてきたからと言って余計なことを考えるものではない、と自分を戒めた。  しかし、何

インドの説話より:ゴータ山

 はるか昔のインドにナラダンカという並ぶものなき富と権勢とを誇った王がいた。  ある時、ナラダンカ王は大勢の家来を従えてゴータ山に遊山に出かけた。ここは都からも近く日頃の憂さを晴らすにはもってこいの場所だった。  その中でもナラダンカ王の気に入っていたのは、ゴータ山中腹にある崖から下の的を目掛けて皿を投げる遊びであった。しかし、今日は皿ではなく別に趣向があった。それは、金貨を投げるのである。  金貨は重く皿よりも飛ばないのでなかなか当たらない。全て投げ終わってしまうと、ナラダ

蜂蜜は恋の味、あるいは吊り橋効果的な

「ああぅ、そこ、画鋲が落ちてます」 「あ! ありがとうございます」  大きな声で言われて心臓がドキドキして顔を見て恋に落ちて結婚してしまった。  こういうのが吊り橋効果だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。 「ああぅ、今渡ったら轢かれるぞ」と注意された猫が居着いているし、「ああぅ、その蜜柑は酸っぱいよ」と脅されたカラスは毎日何かしら持って来る。  つまり、人に恋をさせる能力があるのかも知れない。  私がそれに引っ掛かっておいてなんだが、それを無闇に発揮されると困る。そ

どうしましたか? こっちに来るんですか?

 アフガンハウンドという名前だからさぞかし俊敏で筋肉質な犬だろうと思って、リッキーという名前まで用意して待っていたのに、もらって育ててみると、さらさらの毛の大きな犬になった。  夜勤明けで帰宅した時間が朝の散歩の時間だから、リッキーはもう起きて待っている。それにも関わらず、俺がリードを付けるまではぼんやりしているし、付けたらびっくりする。  そんなではあるが、俺がわざと寝るフリをすると、リードを咥えて持って来る。なのに、付けるとびっくりする。  一度、寝るフリをしたらほんとに

油の香りに誘われない

 夕方の路地裏から漂ってくるそれぞれの家の夕食の香り、中でも何かを揚げている油の香りほど食欲をそそるものはない。  そう話したら、みんながそうでもないかも知れないぜ? と、慎吾がある話をしてくれた。  慎吾は仕事柄世界中を飛び回っている。その日もニューヨークに行く飛行機に乗った。隣にいたのはこれもビジネスマンで、二人はすぐに打ち解けた。慎吾は自分が何をしているかを話し、そいつが何をしているか聞いた。 「一言でというのは難しいんですけど、油に関わることなんです」 「石油会社です

虹と家族と写真

 俺が父と母について話す時は偏見に満ちている と思われるかも知れない。しかし、父も母も20年代の南部を煮詰めてできたのだし、彼らも偏見に満ちていた のだから、どうか勘弁してほしい。  父フランクはテネシーとアーカンソーの州境にある街で牧師をしており、神と最新の機械に狂っていて、その中でも写真機が大のお気に入りだった。そして、母ライザはあらゆる電気で動くものを毛嫌いしていた。  父は写真と出会った時に「これぞ神が贈りたもうたもの、神の似姿である人をそのままの形に表すもの」と電撃