油の香りに誘われない
夕方の路地裏から漂ってくるそれぞれの家の夕食の香り、中でも何かを揚げている油の香りほど食欲をそそるものはない。
そう話したら、みんながそうでもないかも知れないぜ? と、慎吾がある話をしてくれた。
慎吾は仕事柄世界中を飛び回っている。その日もニューヨークに行く飛行機に乗った。隣にいたのはこれもビジネスマンで、二人はすぐに打ち解けた。慎吾は自分が何をしているかを話し、そいつが何をしているか聞いた。
「一言でというのは難しいんですけど、油に関わることなんです」
「石油会社ですか?」
「いえいえ、そういう大層なものでもなく…。いや、関わりがない訳ではないんですが、油に関するものは全て、ですね」
「ほう」と慎吾は自分の前に機内食が並べられるのを見ながら聞いていた。いろいろの中になぜかサーディンがあった。
「例えば、そのサーディンの油はスペインのカディスで去年搾られ瓶詰めされたものです」
「どうしてわかるんです?」
そいつは得意げに鼻をかいた。
「いや、匂いでわかります。あらゆる油の匂いで、その油がどこから来たのか、どんな状態か、わかるのです」
「それはすごい。例えば、他にはどんな…?」
「この飛行機の油は、サウジアラビアで採掘されたものです。いろいろ混ざっていますが、それを嗅ぎ分けるのは今は難しいですね。あなたのヘアオイルはカリフォルニアのメーカーでしょう」
「いやはや、すごい。どうやってそんなふうになったんです?」
「これが…」とそいつの顔が曇った。
「嘗めて味を確かめるしかないんです」
「それはなかなかですね」
「ええ。小さい頃から鼻は良かったしガソリンの香りが好きだからこの職業についたのですが、鼻は良くなっても舌はダメになりました。油のものをとんと受け付けなくなってしまって」
というので見るとサラダに何もかけずに食べている。
「オリーブオイルもダメですか」
「ええ。仕事ならまだしも、もうダメですね」
whiff/かすかな香り
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