ラットレース③
広い大海原に一人。荒れ狂う海に一人。それの意味は本当に経験してみなければわからない。
例えば、山の様な波が、というのはよく聞く。それは船に乗っている時に、ある程度自分に高さがある時に言うことであって、海面と同じ高さにいる場合、波は壁だ。自分にまっすぐに向かって来る壁。
それを、一人で一つずつ通り抜けている。壁が来る前に息を吸い込み、壁の中で息を止め、通り抜けたらまた息を吸い込む。その間、手はずっとオールを動かしている。カヤックが前に行っているか流されているかを考える余裕はない。ただ壁にぶつかり続けるだけ。
ただ、厳密に言えば、一人ではない。荒天の時には陸上のチームがずっとサポートしてくれる。本当にありがたい。
「まだがんばれ。船ももうすぐ着く。何かあればすぐに言え」
返事をする余裕はない。口の中に水が入るからだ。少しでも息をするタイミングを逃したら。気を逸らさない様に前を見据える。
「もう少しだぞ!」
その声が聞こえた途端、足元に寄り添うものがある。…ネズミだ。怯えた毛の塊がいる。
「てめえ!」
思わず叫んでしまった。
「都合のいい時に出てきやがって! ふざけるな!」
「どうした!? 何があった!」
「こっちの話だ!」
食べ物を食い荒らし、舵を壊して逃げ出し、いよいよ助かりそうな時になって擦り寄って来る。本当に腹が立つ。
息をするのを忘れていた。それに気づいた瞬間に壁に入り込んだ。苦しい。しかし、壁はすぐに後ろに行く。そう思った途端に別の壁が見えた。なんだ? そう思った途端、カヤックはひっくり返り、投げ出されていた。
カヤックは沈まない。体は結び付けられている。すぐに船首を波に向けて船体に掴まる。壁と壁との隙間が長い瞬間に飛び乗った。外れたジップを締め直し、オールを握る。
「大丈夫か!」
「ああ、やれた、大丈夫だ。危なかった」
壁との戦いがまた始まる。
足元にはもう感触がなかった。
unzip/ジップを外す
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