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その時、声をあげよう

私の仕事は
発達障害の子どもとその家族を支援する仕事。

困りごとについて考えたり
なりたい自分になるための直接支援をしている。

とてもやりがいを感じている仕事だ。

一方で
広げる・社会を変える・そのために声をあげる
ということは個人的にあまり注力してこなかった。

不妊治療を通して、私のような支援者を含め
第三者が声をあげることの意義を知る。


●つらかった、あのニュース

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この件を、私は不妊治療中に知りました。
できれば知りたくなかったことです。

このニュースに触れることで
また傷つく人を増やしてしまうかもしれません。

特に今、不妊治療中の方で
ここまで読んでピンときてない方は
この先は読まないことをおすすめします。

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「あのニュース」とは
あるタレントがテレビ番組で発言した
不妊症の原因に関する誤った情報のこと。

2021年1月から
不妊治療の助成金適用条件緩和が決まり、
ニュース番組でも取り上げられた。

番組内であるタレントが
こんな発言をした。

(本当に傷つく言葉なので正確な台詞で引用せず要約します)

不妊の原因は、99%が掻爬
(掻爬:人工中絶方法の1つ)

でも前に付き合っていた男の人との中絶経験を
夫の前で言えないから、女性は全員隠している。

私は、このコメントをきいて
愕然とした。

言葉が出なかったし、
体が動かなくなった。

怒りも、悲しみも、何の感情も湧かず

自分が今、
傷ついていることだけわかった。


発言したタレントが後日謝罪したことや
「中には本当に不妊の人もいるかもしれないが」という前置きは気休めにもならなかった。


私は当時、
不妊治療をしていることを
義両親に話すか迷っているところだった。


もちろん、言えなくなった。


この番組を義両親がみていたら?
もし、信じたら?

過去に中絶をしていないと証明する方法がない。
中絶していない証拠なんてない。


この番組を見ていないかもしれないのに
中絶経験はありません。って前置きする?



どうすればいいのかわからず
目の前が真っ暗になった。


急に、世間の目が気になり始めた。


●中絶に関して


中絶することが
100%悪いことではない。

性的暴行被害や、やむを得ない事情
考えに考え抜いて中絶した方もいるからだ。

流産により、
掻爬という中絶方法を経験した方もいる。


でも、今の社会において
「中絶経験がある」と話した時
肯定してくれる人はどれだけいるだろう。

「遊び人」・「無責任な人」
こういったマイナスな印象が
多数派の意見ではないだろうか。


私は、個人的には
中絶経験がある人にも事情があるから
すべてを否定したくない。

でもこのニュースが流れた時
自分が中絶経験があると思われたくない。
という気持ちになってしまった。

自分ごとになると

描いている理想と現実が乖離してしまう。

そんな自分にモヤっとしたが
ここでは正直に書こう。

中絶経験があると思われたくない。
これが当時の私の正直な気持ち。



●私を救ってくれた人


「あのニュース」に関して
たくさんの医師がSNS等で発信してくれました。

もちろん、誤った情報です。

夫には「私、中絶したことないよ。証明する手段がないけど」と言ったら
「わかってるよ。そんなこと心配しなくていい」と言われたし

友人や家族にも「そんなニュース気にするな、誰も信じないよ」と言われた。


それでも私のモヤモヤは晴れない。


職場で公表したら
「中絶した人」という目で見る人は
どれだけいるだろう

義理の両親には
どうやって話せば誤解されないだろう


ということを毎晩考えていた。
考えるたびに心の傷は深まる。


やりきれない気持ちで
この感情をどうにも消化できず、苦しかった。



そんな時
苦しみから解放してくれたのは
意外な人物だ。

タレントの田村淳さん。

あのニュースに関して、
SNSで強い口調で発信した。

田村淳さんコメント欄は

「当事者じゃないくせに、
 外野が何でそんなに怒ってるの?」

「他人が口出すことじゃない。」

「発言した本人はちゃんと謝罪したんだから
 もういいじゃん」

という批判的なコメントもあった。


誰かが傷ついていると
その本人以上に怒り、行動する

いわゆる「学級委員タイプ」って
こうして暑苦しがられてしまう。



でも私は嬉しかった。

田村淳さんとは
全く接点のない他人だけど

傷つきすぎて、怒るエネルギーもなかった
私の代わりに

他の誰かが怒ってくれたことが、
ストレートな表現で発信してくれたことが
気持ちを代弁してくれたことが
嬉しかったのだ。


そして
第三者が声をあげることの意義を知った。


人間は本当に辛い時、声が出なくなる。



怒りや悲しみをパワーに変えられる人もいるが
そうではない人もいる。

私の場合、過度に傷つくと
風邪をひくし、動けなくなる。


その時、
声をあげるエネルギーがないのだ。



だから
「他人が口出すことじゃない」
「当事者本人が何も言ってないからいいじゃん」
という意見は腑に落ちない。

当事者が「何も言っていない」のは
「何も言えない」からだ。

必ずしも「気にしてないから」ではない。


●誰が声を上げるべき?


誰が声をあげてもいい。
第三者が代弁してもいい。

その時エネルギーがある人が、
行動して良いのだ。


私が今あのニュースに触れていることも
「今更?」「いつまで言ってるの?」
という意見があるだろう。


でも私が声をあげられるタイミングは
今だった。


当時は傷つきすぎて
声をあげるエネルギーがなかったし

あれから今日まで、
何度このことについて発信しようと思っても
できなかった。

私がこの話題に触れることで
多少なりとも知る人が増えてしまう訳で

傷つく人がいるのではないか。
黙っていた方がいいのではないか。

いろんなことを考えた。


でも私は今、
声をあげようと思った。

「声をあげたい」そう思った時
誰が、どの立場からでも、声をあげていいのだ。



わかりやすくなくてもいい
どんな方法でもいい
その時、声をあげよう。

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