見出し画像

消費出来ないゲームの話

※ニーアオートマタの話をします。ニュアンス的ネタバレも嫌な方はブラウザバックを推奨します。

久しぶりの更新です。そろそろ、名乗りも省略しようかと思います。

今回は、時事語りでなければ人生語りみたいな説教でもなく、趣味丸出しの話をと…

先月、ニーアオートマタというゲームを買いました。もともとは、PS4のゲームだったのですが、Switchに移植されたという朗報を耳にして即予約しました。

そして、今。それをプレイ出来ないでいます。ゲームが下手とか時間が無いということでないです。(多分、一般的にはプレイ時間は確保出来る方かと。)

精神的に遠ざけている節があります。
正直にいうとプレイするたびに精神が削られる…
もともと、配信者さんなどを通じてストーリーを把握してるだけに好きで買ったはずなのに、ゲームとして消費出来ない…

多分、ゲームと分かりながらもキャラクターの生命を弄ぶ一人になる罪悪感や喪失を経験するのが怖くて怖くて仕方が無いのだと思います。

私自身、感情移入しやすいことは自覚があるので人間関係や創作に触れる時も心は動かされながらも持っていかれないように細心の注意を払っています。でも、このゲームは否が応でも心を持っていかれるような引力を感じます。

現実世界で、そうした経験を繰り返したことがあれば対処出来るのでしょうか。
推していた対象や慕っていた人が私がどうにもできないうちに去っていく。
私自身は手も足も出ない、手の施しようがない。絶望するしかないですね。

でも、現実を何とかして引っ繰り返そうと試みる。
それが、どんな結末を迎えるとしても。

もしかしたら、このゲームは私自身が現実と戦う覚悟を問うてるのかもしれませんね。

笑えない話で、すみません。

でも、思い入れのあるゲームなんです。

最後にお気に入りの一節を

これは、呪いか。
それとも、罰か。
不可解なパズルを渡した神に
いつか、私達は弓を引くのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?