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合唱というメディア

こんにちは

夏休み前の課題はレポート2つだけという人生舐めてる大学4回生のにこです。

今回の記事のタイトルは、そのレポートの中の1つのものです。

芸術論なる授業で合唱についてうっかり熱く書き連ねてしまい、せっかくなので(?)改変して投稿します。

最近推したちがこぞってヘイトを集めているので昇華(防衛機制)しないとやってられないので。

合唱は良いですよ~

私は中学時代はソフトボール部、高校時代は美術部に入っていたのですが

合唱ってその2つの良いところを兼ね備えているんですよね。

ソフトボール部のチームで一緒に頑張る良さと、美術部の何かを作り上げるという良さです。

チームのみんなで何かを作り上げる作業をする。

これが私に合っていたのか、とても楽しい大学生活でした(過去形)。

本当に合唱部に入って良かったなと思っています。

(合唱部の思い出に浸る時間)(読まなくて可)

様々なことがあって、色々なことを経験しました。

今になって、「過去は美化される」ということを否定していた先輩の言葉が反芻します。

具体的に何をおっしゃられていたかは忘れてしまいましたが、過去は美化されなくとも、遭遇した出来事は全て経験値になり、意味付けすることができると感じています。

意味付けすることで、私の中に財産として残っていくのだと思います。

逆に美化などされてたまるかと言ったところです。

まだ一応引退していないのですけれどね。

合唱というメディア

文学部喜多くんと同じ学科
私の愛しき学籍番号 にこ

 世の中には、様々な情報を伝えるメディアが存在します。社会情勢やトレンドを伝えるテレビや新聞紙から、最近ではYouTubeやTwitterで参議院選挙に関する情報が飛び交うなど、SNSの影響力も大きくなっています。これらは、正確に情報を伝える媒体であり、受け取り側によってその意味が変化することを期待してはいません。情報を伝えるメディアとは、そのようなものであると考えて相違ないと思います。それに対し、視聴者それぞれに様々なものを伝えるメディアに、ドラマや映画が挙げられます。それらの一つに、歌、厳密に言うと“合唱”も、含めていいのではないかと考えます。
 私は、大学4年間で合唱部として、たくさんの歌を歌い、聞きました。その経験から、合唱もメディアであるといえるのではないかと考えました。合唱は、その曲に込められた意味や、それにとどまらないエネルギーを、歌という形で、歌い手の表情や声色を通して届けることができ、聞き手の心を豊かにしたり、感動させたりすることができます。歌詞の言葉の意味そのまま伝えるという、一般的に言われるメディアとしての役割も担うことができますが、合唱曲にはそれ以上に、一つ一つ、作詞家や作曲家がこめた意味があります。しかし、良くも悪くもその意味がそっくりそのまま伝わるかどうかは分かりません。色々な経験をした聞き手が、それぞれの解釈を行うことができます。表現者が創るものを届ける、という点ではドラマや映画と同じようなものかもしれません。それに対して、自分で補完する部分が多いのが、合唱なのではないかなと思います。しかし、ただ単に、声を出すという作業のように歌っては、伝わるものも伝わりません。不思議なことに、ポジティブさを表現したいときには笑顔で歌う、ネガティブさを表現したいときには鬼気迫るように歌うと、声にもそのような表情がつくのです。人間の行う合唱でなければならないのです。

(中略)

 以上の理由から、合唱もメディアの一つではないかと言えると思います。曲に込められた意味や力、非現実的な時間を、歌という形で、歌い手の技術や工夫を通して、聞き手に届けることができ、メッセージやエネルギーを伝え、感動させることもできるのではないかと考えます。


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