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風景を見て嫁げるということ

―中尾
今日は、岐阜から高知県の梼原(ゆすはら)というところにお嫁に行った女性のお話をします。
梼原と言えば、坂本龍馬の「脱藩の道」が有名ですが、それはさておき、民俗学者の宮本常一さんが聞き書きをした「土佐源氏」という物語でも有名です。私はこの「土佐源氏」がものすごく好きなのです。
「土佐源氏」は、梼原の橋の下で、乞食(という言葉を今はつかってはいけないのですが、この物語ではそう呼んでいるので、敢えてそのまま言います)で、目の見えないおじいさんから民俗学者の宮本常一さんが直接聞いた、色懺悔話といわれています。
私は、宮本常一さんの「忘れられた日本人」でこの物語を知って、この梼原という場所に行ってみたくなりました。宮本常一さんが馬喰だったおじいさんから話を聞いた橋や、馬喰時代に歩いた道や、その物語に出てくる風景が見たくて、梼原に行きました。そして、その物語に縁のあるお寺を訪ねたときにお会いしたのが、岐阜からお嫁に来たという、若い奥さんでした。
お聞きしたいことはたくさんありましたが、その方が「私は岐阜からお嫁に来たので、あまり詳しいことはわからないです」とおっしゃって、その方から土佐源氏のお話を聞くことはできなかったのですが、「岐阜から高知の梼原にお嫁に来た」というところにとても興味が湧いて、「岐阜の方がこちらの方とどうやって出会ったのですか?」と聞いてみたのです。すると、「お見合いです。ここの山の風景が、岐阜の私の生まれ育った風景と似ていたので、ここならお嫁に来ても良いかなと思いました」とおっしゃったのです。私は、風景でお嫁に行くなんて考えたこともなかったので、改めてその山の風景を見渡してみました。山に囲まれて段々畑があって、空と山が近くて、見渡す限りコンビニはもちろん、スーパーマーケットもビルのような建物も一切ありません。当時の私にはとても不便な場所に思えましたが、その風景を見て、ここならお嫁に来ても良いと思えるのが、なんだかとてもうらやましかったのです。

―澁澤
そんなもんじゃないですかねえ?

―中尾
いや、大阪人は「人」です。風景でお嫁に行くことはないと思います。
きっとその人には、私には見えないものが見えていたのでしょうね。
「土佐源氏」の話に戻りますが、これは、年老いた元馬喰の色懺悔話なのですよね。

―澁澤
馬喰といって、昔は農家が農耕用に牛を飼っていて、農家もある程度牛を飼育する技術を持っているところに牛の子供を預けて、一人前の働ける牛に育ててもらうということを農家に委嘱をして、ある程度大きくなるとその牛を買い取って、それを実際に牛の市で農耕用の牛として売っていくという商売があったのです。日本中を移動しながら、特に中国地方、四国が有名なところでしたが、馬喰さんは町から町へ、山から山へ移動して、価格というのはその時の交渉によって決まるのですが、口先三寸で生きてきた人ですね。

―中尾
それで惹かれたのかなあ(笑)

―澁澤
まあ、その人が高知県梼原の橋の下に最後は定住したという馬喰さんの話ですね。
当然、目が不自由な人ですとか、その当時の身分制度の中では下級の人たちと上級の人たちが交わるということが出てくるので、フィクションではないかとか実際はなかった話だというようなことがずいぶん言われたのですが、最近はそこに関係した人たちの子孫の方々も、名乗りを上げて出て来られるようになったので、実際に宮本さんがその人に会って聞いた話だということがよく分かりました。ただ、宮本さんの他の本は、ほとんど淡々と事実を書いていくというものなのですが、「土佐源氏」だけは一つのリズムがあって物語になっているものですから、それをお芝居にしたり、朗読をする人が出てきて有名になりましたね。

―中尾
その物語の何が好きかというと、澁澤さんがおっしゃるように、牛買いの話なのですが、そんなに良い牛じゃなくても売らなきゃいけないわけですよね。高く売りたいので、おとなしい農家さんにうまくいってその牛を預けて、得した気分でまた旅に出るわけですよね。
だけど、この物語に出てくる大きな農家の奥さんは、牛を自分で世話をして、とんでもない牛でも、驚くほど良い牛に育て上げるのです。私はそこが大好きなんです。子供がいなくて、夫も外にお妾さんを作ってほとんど家にはいないので、愛情を牛に注ぐのです。そんな寂しくしていらっしゃる奥さんのところに馬喰がやってきて、お茶菓子を買ってきては旅の話をしたりして、仲良くなるのです。奥さんはいつも一人だし、外の世界を知らないので、馬喰の旅先の話が楽しみで、馬喰も身分の違う大きな農家の奥様が自分の話を楽しそうに聞いてくださるのがとてもうれしくて、お互いにその時間が楽しくてしょうがない。身分も違うし、恋というものではないけど、馬喰は奥さんと寝たいと思って、思わず誘ってしまうのだけど、その時にその奥さんはニコニコ笑ってついてくるのです。私から見ると、それは色っぽい話ではなくて、人間同士の愛情交歓というのかな。
寂しい心をその瞬間埋め合うというように私には感じられたのです。
当時の男性は結婚していてもお妾さんとか別の女性を囲うのは当たり前の時代だったけど、女性にもこうして楽しめた瞬間があったのかなと思って、ちょっと嬉しかったんですよね。

―澁澤
馬喰さんは身分の違う人と話ができて、自分をちゃんとした人間として扱ってくれて、まずは人間としての誇りがとても満たされたのでしょうね。どこに行っても馬喰かといわれて、どちらかというと、よい言葉ではなくて怪しげな奴と世間からは見られていて、尚且つ定住もしないで、方々に女を作って、家を作って、さすらい歩いているといって、卑下されている立場の人間だった。それが庄屋さんに近い、ちゃんとした農家の奥さんが、一人前の人間として話をしてくれた。逆に奥様は、普段旦那さんがいなくて、大きな農家に嫁に来たけど、広い家の中で召し使いだけと一緒に暮らしていて、奥様も人間らしい生き方をしていない。それもしょうがないかとあきらめている、そんな二人が出会うんですよね。

―中尾
奥様にとっては、超狭い人間関係ですよね。

―澁澤
だけど、一方では、エロ話だと。宮本常一がなんでこんなエロ話を書いたんだという人もいましたね。

―中尾
そうなんです。しかも、とても具体的に書いてあるので、本当にただのエロ話に見えてしまうのですが、実はとっても深い物語だと思うのです。
うちの祖母も目が見えなかったので、盲目になった馬喰さんの話が私にはとても興味深くて、毎日どんなことを頭の中に描いていたのかな~と。二人とも生まれつきではないので、昔は見えていたので、見えていた時のことを話せる人が欲しいのではないのかなと。それで、馬喰さんは自分が見てきたものを、宮本常一さんに話したんじゃないのかなと私は思いました。
この「土佐源氏」を坂本長利さんという役者さんが50年にわたって独演されています。
最初はストリップ劇場から始まったのですが、だんだんストリップ劇場に来ているおじさんたちが感動し始めるんです。で、うちの工場の連中にも聞かせてやってくれと言い出して、それから全国への出張公演へと広がっていくのです。中でも一番驚いたのは、奈良の中学校の校長先生が、「うちの生徒たちに聞かせてやってくれ」とおっしゃって、中学で公演したんですって。ずいぶん前ですけどね。その時、子供たちがどうだったかというと、みんなすごく恥ずかしそうに、どこを見ていいかわからなくてうつむいて聴いてたんだけど、終わった後に「どうだった?」と聞いてみると、「女の子は大事にしようと思った」とか、ぼそぼそとみんなそれなりにちゃんと考えた自分の言葉で感想を言うんですよ。

―澁澤
人間ってどことどこで理解できているのかという深い話だと思いますね。
中学生たちもそれを聴いて「女の人を大切にしようと思いました」という心の理解ができていて、それはもう言葉による理解ではない部分の理解で、梼原の奥さんが「見てきた景色が同じだからお嫁に来ました」という景色も、決して見えている風景だけではなくて、そこの風土だとか、暮らしだとか、ものすごく心の奥底にある共通点を見出したということですよね。

―中尾伊早子
なるほど。「似ている」ということは暮らしぶりの想像がつくということですね。
今、いろんなことに想像が広がりました。

―澁澤
人間が理解するということの原点かもしれませんね。「土佐源氏」の中に出てくる男女の関係も、男女の関係の前にある身分だとかそういうものを超えた関係も、中学生たちが思った男女の感情も、景色も、もっともっと奥の部分で人間というのは理解しあっているのかもしれませんね。


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