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澁澤家に生まれた宿命と運命

先回の吉野の山での断食に続いて、もう少し吉野のお話をさせてください。
私は子供の頃は小児ぜんそくで、低学年の頃は発作が出て1ヵ月学校を休むこともあったのですが、小児喘息は、女の子の場合は生理が来ると治るといわれている通り、中学生に入る頃にはぜんそくはほとんど治り、代わりにアトピーの湿疹が出るようになりました。
湿度に弱く、春と秋にひどくなるのですが、吉野の水が私の体質に合うのか、3回ほど断食に通いましたが、湿疹が出ているときは、毎日吉野のお水や柿の葉茶を飲んだり、温泉に入って帰ると、とても良くなるのです。空気や水や、自分の体に合う土地ってあるのかなあと、漠然と思っていました。
3回目の断食の帰り、用事があって大阪の実家に帰った際、たまたま物置を開けたところ、法螺貝が出てきました。母に「なんでうちに法螺貝があるの?」と聞くと、「おじいちゃん、山伏だったじゃない」といわれました。
このnoteを始めたばかりの頃に何度かお話したのですが、私はとてもおじいちゃんっこで、祖父は認知症になっても、小学校4年生になった私を学校まで迎えに来ていました。ですが、私が6年生の時に亡くなったので、そんなことは全く知りませんでした。その祖父がなんと山伏で、しかも吉野の山で修行をしていたというのです。私が参加した断食は、知り合いの宗教学者の先生からの紹介でしたが、参加者のほとんどが山伏の方たちで、一般で参加する人はほとんどいません。その縁というか、運命のようなものさえ感じて、お世話になった金峯山寺のお坊さんに「祖父が山伏でした」というと、「あぁ、やっぱり。中尾さんはなんで参加されたのかと不思議でした。呼ばれましたね」と。とても不思議な体験でしたので、澁澤さんにも「そんな体験はありますか?」と聞いてみました。
すると…「運命」と「宿命」についてお話しくださいました。

 「私は子供の頃、澁澤家に生まれたことがとてもいやだった時期がありました。
 澁澤家の子供だというと、特別扱いをされるし、金持ちだとみられるし、ある程度年を取ると、必ずどこに行っても上座に座らせられるし、そういうことがとてもいやで、普通の子になりたかった。子供の頃は普通の男の子の夢を持っていて、パイロットになりたかった。ある日、父親に「将来の夢はパイロットになりたい」と言ったら「それはだめだ」といわれたのです。
曲がりなりにも、恵まれた家庭に生まれて、澁澤という名前をしょって生まれてきたのだから、澁澤という名前と家庭環境を活かせる形で世の中に返さなければ、お前のやりたいことだけを生きる人生はダメだといわれたのです。その時に運命ということをとても感じました。何でここに生まれてきたのだろう。自分らしく生きる人生ってどういうことなのだろうと考えるようになりました。
 うちの父は霊的なことがとても好きで、霊媒師のような人がしょっちゅう家に出入りしていました。帰ると、『ぼっちゃん、今日はタヌキを連れてきたので、とっておきましょう』とか、『今日は地縛霊が一緒についてきましたね』とか言われるんです。
 その中の一人が、『運命と宿命は違うんだよ。運命は命を運ぶことができる。自分が命をもって運んでいくのが運命で、もともと魂に宿っているのが宿命というものなんだ』と。澁澤家に生まれたということは宿命だけど、それを運命に変えていくことが、それがあなたの人生だよと、そんなことをタヌキのおっちゃんから言われて、すごいなと思ったんですよ。あなたの場合は、命を、おじいちゃんからバトンを受け取ったんですよね。吉野で瞑想・断食をして、全部捨てて、初めて受け継いだものに気づいたんですね。そのバトンをどう運ぶかは、中尾さんが考えなければいけないことですね。」と。

 祖父の写真を見ると勲章がいっぱいついているのですが、うちの家族は誰も興味がなくて、なんの勲章だか全く分からないのですが、どうやら消防団をしていた時のボランティア時代の勲章のようなのです。なので、ボランティア精神はここからきているのではないかと、改めて思いました。
 お金にはならないけど、人の役に立ちたいと、良く思います。基本的には、生きること=食べることですが、もう一つ「何のために生きているか」というと、自分以外の人や、言葉を発しない動植物や森やなんでもよいのですが、何かの役に立つことが「生きている」という実感を持てることかなと思っているので、この運命は、祖父から引き継いだものなのかなと思いました。

一方、澁澤さんは、小学校を上がるまでタイのバンコクで育ったそうです。
「今から70年近く前のバンコクです。
うちは外国人居留地に住んでいて、目の前にクリークという濁った運河があって、その向こう側には当時のタイの所得の低い人たちの家があった。スラムではないけど、トタン屋根が並んでいる地域でした。その子供たちと、外国人居留地の白いコロニアル様式の家に住んでいる私と、同じようにクリークで水遊びをします。その子供たちが、今でも私と同い年なわけです。いつも父から言われたのは、お前と同い年のあの子たちが、今何をしているかを考えながら生きろ。お前が幸せになるということと、あの子供たちが同時に幸せになれるような社会をつくらなければいけない。それが、お前の宿命から運命に切り開いていく方向だということを子供の頃教わって、いやだなあと思っていたけど、沁みついていますね。不思議なことに。なかなか家にはいない父親でしたけど、たまにあった時にはそんな話をしましたね。わけのわからない霊媒師が言った運命と宿命の話だとか、中尾さんのおじいちゃんの話だとか、人間って科学ではわからないけど受け入れていくものって、本当の本質の部分にあるのかもしれませんね。」と、澁澤さん。

 私の祖母(山伏の祖父の奥さん)は、病気で目が見えませんでした。     その祖母と祖父と私の3人でよくお医者に行きました。目が見えないおばあちゃんの手を私が引いて歩くのですが、その時、祖父が「僕の目が見えなくなっても、いさこちゃんはそうやって手を引いて連れて歩いてくれる?」って言ったのがとても心に残っています。
「うん」としか答えられなかったけど、もちろん!と思っていたし、今思えば、それが役に立つことの原点だったかもしれないと思います。
「その手を今でもつないでいるのかもしれませんね。」という澁澤さんの言葉がとても素敵でした。

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