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評価とか、数値化とか、口で言うほど簡単じゃないって!

「姫、今日は、真面目なタイトルですね。」

「妾はいつも真面目に、真剣に生きておる!」

「えー、今は、妖精じゃないですか?少なくとも、普通の意味での命は持ってはおれられない!」

「うるさいな!お前は、何かな?妾に喧嘩売ってるのかな?」

「いえいえいえいえ!w めっそうもない。人間の時でも怖いのに、今は、可愛らしい見た目の妖精でございますからね!コワさは100倍ですが。。。。。。」

「何が言いたいのか、わからんが、どうも妾と本気で喧嘩したいようにしか見えぬな・・・。」

「いえいえ、とんでもございませんよ。ええーと、こないだの鎌倉殿の13人見ましたか?!?!?義経、カッケかったっすよねー!(ㆀ˘・з・˘)汗汗」

「義経ものう、”雉も鳴かずば撃たれまいに!”」

「いやいや、もう、姫ったら、お・ちゃ・め!なんだからーー!w」

「しかし、義経って、1人だけ、近代的な精神を持っておったよな。あの時期の戦闘といえば、少なくとも名のある武士同士であれば、互いに姓、氏から、名乗りをあげて、一騎打ちって言うのが普通じゃったからな。」

「だからこそ手柄にもなったのですよね。例えば、一ノ谷でも、熊谷二郎直実と平敦盛は互いに名乗りを上げてから戦っている。ま、だからこそ、直実の後悔にも繋がるわけで・・・・・・・勝てばなんでも良いってのは、近代戦以降ですよね。それも主に、欧米や西アジア方面の集団戦!」

「本邦では戦国期ですら、船の漕ぎ手を撃つと言うのは卑怯とされていたな。そんなことになるくらいなら、調略の方が犠牲者が少ない、って認識じゃな。ところで、一ノ谷では、直実と敦盛のエピソード、なかったよな。残念、あれ好きなんじゃけどなー!www」

「まあ、主役は、頼朝でも義経でもなく、北条氏ですからね。特に、2代目の義時。これからは、陰謀だらけの具体的な政治の話に突入するから、三谷さんの描き方に注目ですね。北条氏以外の一族、比企、梶原あたりは滅亡するし、三浦も三浦半島に惣領は残るがかなり叩かれる。和田もやばい!大江広元は、流石に京都の公家上がり、こう言うところソツがない!www」

「調略が重んじられるのは、結局、同じような文化伝統のものたちの諍いだからですね。西アジアや欧米では、そもそも話し合いが成り立たなかったり、信じる”正義”も違いすぎて、話にならないことも多い。」

「義経さんについては、幼少期から、鞍馬の山の中に隔離されていて、弁慶などと脱出。また、東北に王国を築いていた奥州藤原氏の元にいたりしたからかな?いわゆるヤマトの常識的な人ではなかったんだろうなぁ・・・。」

「現代になってから、また、非戦闘員は殺害対象にはしないなどのルールが復活してきましたよね。」

「プーチン、ブッチぎりみたいじゃけどなぁ。」

「現代の戦闘行為は、ポリティカルな事情が込み入りすぎていて、もう、よくわからんわい。とにかく、日本は、日本のためや周辺諸国のためにも、”ウクライナ支持と支援”を、できる範囲でも、明確にアピールし続けないと、厄介なことになる。」

「転がり様によっては、北方領土などにいい方向か悪い方向かに関わらず、影響がありますよね。」

「いい方向に行きそうな時、成果をアピールできないとなぁ!www」

「成果ってのもどう言うふうに測るか難しい。」

「戦争でもそうですし、もっと平和時の例えば、数理科学や科学技術などの評価などもな、成果主義って口でいうのは簡単だけど本当は難しいものじゃよ。」

「なんかいい例はありますか?」

「妾、数学・数理科学が本務のものだからな。他分野、特に、情報科学などは全く畑違いなんで詳しくはないのだけれど、最近流行ってきたAIなんて、実はいろいろあったらしいぞ。」

「へー!どんなことですか?」

「今のAIの基盤になっている理屈は、1967年に甘利俊一さんという人が書いた論文でな、これはきちんと評価され切っていないとね、いまでも言われているそうじゃ!」

「50年以上前ですね。そんな頃から萌芽が!」

「チューリングと並び称されてもいいくらいの珠玉の名論文とも言われているともいう。この辺が、専門外なんで、詳しくはわからん。」

「しかし、70年代、80年代あたりは、コンピュータ自体の性能の関係もあり、うまく評価されなんだらしい。」

「そこで、口のうまい人が出てきて、引っ掻き回したらしいですね。」

「TRONの坂村健氏などじゃろ、よく引き合いに出されるよな。いまでも。」

「宣伝の上手な人だったらしく、当時の通産省を巻き込んで、総額500と数十億円以上集めて、一大国家プロジェクトとして展開したが、全く現実的に意味のある結果には繋がらなかった。」

「その上、ダメとはっきりしてから、当時のAI関係の若手・中堅は、みんな、失職したそうですね。」

「ああ、でかい資金集めすぎた上に、企業はどこも真面目に相手せず、ポシャった後も、『我、関せず』を貫かれたと言われてるな。」

「今の基礎的な科学技術を取り巻く環境とすごく似たことが40年前に、プロトタイプのように起こっていたんですね。」

「うまく行かなかった時、省庁というのは、一切責任を取らないことを肝に命じておくべきじゃよ。」

「この時も、そうだったんですか?」

「妾、専門が違うので、詳しくは知らん。が、割食ったのは、当時、上の方で勝手に決めた一つの分野にかき集められて、そのプロジェクトがダメってなった瞬間、単に、首を切られただけの当時の若手じゃな!」

「あんまり集中させると良くないですね。」

「合衆国のように、そもそもあらゆる階層の労働者が流動的であればいいのじゃが、この国は、文化・伝統として、そうはなっていないし、多分、この先も、そう簡単にはそうはならない。ま、500年とか経ってみればわからんけどな・・・・・・・・。」

「なんとなく、小さい島がいくつもあって、そんなかでコツコツやっていて、いろいろ時に応じて、連携したり、離散したり、しながら、全体として、ネットワークになっていたんですよね。」

「ある程度長い時間スケールで見ると、中央集権コントロールより、分散統治型の方が、うまく行くらしい。」

「中央が壊れた時、立ち直るのがものすごく大変ですからね。新幹線のシステムとか見てると広島と九州の間で地震があったと言って、三島辺りの上り列車まで、止まったりするしなあ。」

「わかりやすい例はいくつもあるが、ま、そんなことより、分散統治の方がいいに決まっている。妾が植物が好きなのもそのせいでもある。樹木や草木は、葉っぱや枝など切り倒しても、個体としての充分な機能を維持できるための許容範囲が大きいし、枝切って地面にさしておくと、個体が復活したりもする。」

「9mmのパラベラム弾が頭に突き刺さっただけで、個体が回復不能なのとはかなり根本的な生存戦略が違うよな。」

「ま、進化は偶然、それを戦略と呼ぶのは人の脳みそだけどな。」

「大体、ヴィーガンやベジタリアンが地球に優しいなんて、論理的におかしくないですか???動物同士勝手に食べあって、植物には手を触れないでくれたほうがどんだけ、地球に優しいかわかりませんよ。」

「ま、それは話逸れすぎじゃよ。NHKの”植物に学ぶ生存戦略”って番組は面白かったけどな。」

「林田理沙アナと山田孝之がいいコントラストでしたよね。」

「リンダちゃん、結婚もされたみたいで、ますます、NHKの顔になっていくなぁ・・・。」

「樹齢500円ってなんですか?みたいな天然っぷりも、そういうのが好きなおっさんに受けてたしなぁ・・・。」

「最後に、まとめるけど、かなり広く適当にばらけさせた島々で個々に分散的に統治させ、自然発生的に纏まったり、協働したりしていくことを奨励するだけの方がいいんじゃよ。特に、この国ではな。」

「その方が根っこは残したまま、いい仕事もできていくように思いますね。」

「それとな、失敗した時、うまく行かなかったときにな。セーフティーネットも張りやすいんじゃな。個々の島でそれぞれ面倒みれば良い。」

「数学・数理科学は、全体から見れば小さな島だけど、その中でも、さらに微小な島々で個々にやりつつ、うまく集団的にもやって行っていた時期が長いの。」

「基礎的な学問は、次に出てくるのが何か、あらかじめわからないですからね!」

「そう、それに何か出てきたっていうのはあくまで結果なんじゃよな。それ以前のはっきり分化していない朦朧とした発展の芽のそのまた”萌芽の海
”みたいなところに、どれだけの多様性を抱え込めるかが大事なんじゃよね。」

「それは、自然界の進化の法則とも一致していますね。」

「ま、そうじゃ。でな、環境が少し、シフトするとぐんっと伸びてくる一群落がある。それはあらかじめはわからないけど、”萌芽の海”が潤沢であって、深ければ深いほど、その後の進歩も高い!」

「現象として見える以前の、萌芽のタネの段階で、出てくれば高いってこと自体は、わかるんですね、何がきたとしても。」

「ただ、それを評価する合理的な手段はないよ。そこが、はじめの問いとも絡むけど、難しいんじゃよ。」

「はじめの述べたAIでいうと、コンピュータのハード面での進歩があって、さらに、従来的なアルゴリズムーデータ型ではなくて、例えば、ニューラルネットワークの現実的に稼働するような実装が可能になったことがブレイクスルーになったと言われているそうじゃよ。今の、ディープラーニングなども、このようなブレイクスルーがきっかけになって、大進歩したと言われていると聞いておる。」

「関係ない分野の伝聞だと話がしやすいですね!自分が関連している分野のことは、色々しがらみもあっていいにくいですね。」

「要するに関係ないからな。その上で、教訓は、全分野へ広げられるし。」

「甘利氏はその後、どのように?」

「さすがに、きちんと評価されている。しかし、まだ、その評価は業界内部に留まっているとのことを聞いたことがある。内部での評価はものすごいし、専門家としての評価も特Aだそうじゃ。」

「もう少し、専門外のより広いリベラルアーツな教養的な分野からも、同時に、評価がされるべきだと思いますよね。」

「ま、ご本人がそういうことを望んでおらぬのかもしれんし、難しいな。ただ、2019年には、文化勲章を受賞されておるな。」

「ふーん。宣伝がうまいだけの人にお金を集めるのはやっぱ、まずいけど、歴史的には、評価されるべき仕事は評価されていくんですねぇ・・・。」

「そうとも限らんが、甘利氏の場合は、トータリーにも良かったと思っている先生方が多いと思う。」

「甘利氏の件から思う専門家としての教訓は、彼のお仕事は、常に純数数学としても面白い問題を供給しつつ、現実の数理科学的な意味づけもずっと続けられてきたことじゃな。」

「”応用数学”として確立してしまった分野は、それはそれで排外的になることも多いですよね。そう言った排外的な”応用数学”には目もくれず、ひたすら、現実との関連での意味づけに意味を見出す原始的な意味での数理科学とそれから先ほどからも述べてきたように、純粋数学の発展のための”萌芽の海”に対して一定の刺激を与え続けて、その豊穣さへも貢献され続けてきたという意味で、プリミティブな意味かもしれないけれど、数理科学への貢献も著しい。」

「ま、立ち上がったばっかりくらいの芽の段階では、ある程度の排外性も現実的な意味では必要になることもある。しかし、甘利氏の貢献は、そんな姑息なポリティックスなどどうでもいいと言わんばかりの智の巨人っぷりであるとの評価じゃそうじゃよ。伝聞だけどな。情報科学としての専門のお仕事に留まらない広さと深さを感じると言われているそうじゃ。ま、情報科学のことが全くわからん妾は、伝聞をさらにお伝えするだけじゃな。」

「実際、藤井聡太君のような次世代の将棋チャンピオンも産んだのは、元はと言えば、1967年の甘利さんの論文なんですよね、でも。深いなぁー!」

「専門性を大切にしながら、外に広がっていく甘利氏の姿勢自体は、妾も見習いたい部分がある。能力の違いは如何ともしがたいがな!w」

「そういう態度自体は、様々な他の専門分野でも真似できますよね。」

「結果がそう簡単に評価できなくても、”萌芽の海”への貢献などポジティブに見ることも必要じゃろうて。」

「なんでも数値化数値化っていう時点でダメになる萌芽を含んでいる気もしますね。」

「しかし、だからどうする?っていうと、また、難しいじゃろ?」

「なるっ」






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