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新型コロナウイルス感染を封じ込めた台湾が気になったので、台湾の国民情報管理システムの歴史を調べてみた!

上手くいっている、台湾

 コロナウイルスの影響が日本で広がる中、「マスク管理」「天才ID大臣」「コロナウイルスを封じ込めた鉄人大臣」など、私の故郷の台湾での政府が目ざとい対応をしたとされ、日本でもたびたび取り上げられている。

 台湾の衛生福利部疾病管制署が公表している2020年5月7日時点で公開された総検査数は66,046例、感染確定数は439例、死亡は6例だった。その前日の感染確定数は1名で、イギリス帰国者だった。5月5日に0名、5月4日は1名で、5月3日は0名、5月2日に3名のヨーロッパとアフリカの帰国者だった。さらに4月25日に軍艦磐石の感染者を確認してから、5月1日まで新な感染者がいなかった。

 人口約2千万人の台湾の現状を見ても、現時点コロナウイルスを封じ込むことに成功していると言えよう。

マスク購入は一人2枚まで!

 台湾政府の早期対応に含む様々な政策日本でも報じられたが、ここで取り上げたい(というか筆者が気になった)のは「口罩實名制(マスク実名制)」(※1)だ。同制度は2020年に2月4日に発表され、2月6日に執行されたもので、マスクを全て健康保険制度の特約薬局での購入になり、内容は以下の通りだ。

●全民健康保険卡(日本の健康保険証)の提示で購入可能。
●一人は七日間のうちに一度のみ購入可能で、購入数は2枚まで(値段は2枚で10台湾ドル)とする。
●身分証明書番号の末の番号が奇数の場合は月・水・金、偶数の場合は火・木・土のみ購入可能。
●日曜日だけ身分証明書番号に限らず全員購入可能。
●全民健康保険卡を持って代わりに購入する場合は一人分までで、その保険証の番号と購入限度に従って購入すること。
●一つの拠点は原則毎日に成人用マスクは200枚、小人用マスク50枚を販売する(生産状況によって調整する場合がある)。

 それに加えてルール説明とマスクを販売する薬局が分かるスマートフォン用アプリを配布した。

 さらに2月20日に12歳未満者の全民健康保険卡(日本の言う健康保険証)で小人用4枚まで(七日間に一度のみ購入は変わらず)、3月5日にすべての全民健康保険卡で大人用3枚、13歳未満の全民健康保険卡で小人用5枚まで(または成人用3枚)までに増やして、13歳未満の場合番号による曜日購入制限を設けないなど、状況に応じて柔軟にルールを変えている。

 すべての全民健康保険卡にICチップが埋め込まれていて、被保険者の様々な情報を保存できるようになっている。国民の新型コロナウイルス感染リスクが高い国への渡航歴を把握するため、台湾の衛生福利部の部長陳時中氏がそこに海外渡航歴を加えるという考えを2月23日に表明していた。

 挙げたらキリがなくなるが、これらの政策は感染拡大防止の観点から功を奏したと、日本でも取り上げられているようだ。マスク管理を始めとする政策で運用された台湾の国民情報管理システムはどんなものだったんだろうか。

台湾人だけど調べてみた、台湾人のマイナンバーカードの歴史

 まず全民健康保険卡とは、日本の国民健康保険証にあたるもので、1995年に職業によって内容が異なる保険規則を一つに統合した制度のもとで生まれたものだ。そのカードには「國民身分證」(国民身分証明書)の番号が記入されていて、台湾人の全国民が有する「身分を証明する番号」で、日本のいわゆる「マイナンバー」のようなものである。

 しかしこの國民身分證の歴史が長く、調べる限り台湾における調査は1944年から開始し、関連法律の整備は1946年から始まっていた。戦後、台湾在住者日本領から中華民国(当時与党は中国国民党)領になるため、台湾が使用する年号の民国33年(1944年) (※2)に台湾在住者の戸籍調査が行われ、翌年の民国34年(1945年)の10月25日を日付に、全ての台湾在住者の国籍が(当時の中華民国)回復することになった。

 台湾の内政部が民国100年(2011年)を記念して、100年間の戸籍制度を記録した『戶政百年回顧』(2012年に出版)の年表を見ながら、さかのぼっていきたい。

 以下は筆者が年表を抜粋して、翻訳したものだ。

民国33年(1944年)
●7月15日台湾全体戸籍総検査を実施(訳者追記:1944年は台湾はまだ日本領だったことや、同書では「国民政府(中国国民党政権)が民国35年(1946年)に「收復區實施戶口清辦法」を根拠に「戸口総清査」を行った」と記したことから、民国33年(1944年)のこの調査は日本の台湾総督府が行った可能性が高い)
民国35年(1946年)
●1月3日に戸籍法を修正、戸籍業務を民政機関に移管し、国民身分證の発行について検討。
●1月12日に行政院より、台湾在住者が民国34年10月25日より全て国籍を回復したと発表。
●「收復區實施戶口清辦法」を根拠に「戸口総清査」を行い、10月1日に戸籍カード用いて戸籍を登録した(訳者追記:2020年5月8日にこの項目を追加翻訳した)
民国36年(1947年)
●1月17日に「臺灣省臺北市省級暨中央駐省機關公務員國民身分證發給辦法」(台湾省台北市や中央機関の公務員身分証明書交付方法)を発表。
●4月25日に「臺灣省各縣市國民身分證發給辦法」(台湾省各県市国民身分証明書交付方法)を発表。
●5月27日に18歳以上の国民を対象に国民身分証明書(初代国民身分証明書)を交付。
●3月12日に「戶口普查法」(戸籍調査方法)を制定・公開。
●5月1日に内政部が戸政司を人口局に拡張し、戦後の戸籍管理(戸籍行政、戸籍登録、戸籍調査、国籍行政、兵役管理(のち民国44年(1955年)役政司に移管)、人口政策、人口統計など)を担当。
●6月に「警察機關調查戶口與戶政機關連繫辦法」を制定、警察機関が治安維持のため戸籍調査を行うことが可能に(戸制(戸籍)機関と連携するという条件付き)。

 なるほど戦後の台湾は戸籍が混乱していたので、調査と管理が必要なわけで、そこから台湾の人々にとって国民身分証明書の始まりで、現行する国民情報管理システムのスタートだ。そこで筆者の目をとめたのは「警察機関の戸籍調査」だ。

戦後の台湾はたいへんだったよ!

 さて、ここで一旦戦後の台湾の状況をおさらいしてみたい。戦後の混乱期に国民の戸籍調査と管理は極めて重要な課題だったが、中国国民党政権は共産党を含む勢力との間で熾烈な争いの末、中国国民党政権が敗退し台湾に拠点を移す(民国38年(1949年))までの布石という役割もあったと推測する。戦後すぐに起きた中国国民党政権が台湾の人々を弾圧し、過程に虐殺が起きたとされる大事件、「二二八事件」(※3)の時期にも注目したい。

 年表を見ると、その直後の民国36年(1947)年6月に「「警察機關調查戶口與戶政機關連繫辦法」を制定、警察機関が治安維持のため戸籍調査を行うことが可能に(戸制(戸籍)機関と連携するという条件付き)。」とあった。治安維持のため戸籍管理に警察介入の必要があると中国国民党政権は考えたと見て差支えがないだろう。

台湾の国民情報管理が警察機関に移管!

 もう少し年表を見てみよう。

民国38年(1949年)
●国民政府が台湾に移転。
●大陸を(共産党に)失う、人口局が5月1日日付で戸制司に縮小。
●台湾に移住した元大陸在住者の身分証明書の様式が複雑のため、12月~翌年1月まで新たに身分証明書を交付。
民国43年(1954年)
●5月に国民身分証明書をリニューアル(訳者追記:これが2代目国民身分証明書発行になる)、14歳以上の国民と対照に初めて個人に「口號」(訳者追記:住所に合わせての番号、例えば○○県第〇〇〇〇番)が与えられる。)
●戸籍登録と管理は民政機関と警察機関の共同管理になる。
●12月18日に戸籍法が改正。妻が夫の本籍に入る、婿養子になる場合、夫が妻の本籍に入る。
民国45年(1956年)
●4月~10月の間に戸籍行政の法案の改正が数回行われる。なかで役所では警察が副主任として戸籍事務の補助をするが、警察が治安維持で多忙のため戸籍業務への協力が困難など、実行の延期の検討が行われた。
民国48年~50年(1959~1961年)
●人口問題が頻繁に取り上げられ、民国50年に「台湾人口研究センター」が設立され、台湾の出生率などを調査・統計し、家族計画を推進する。
民国58年(1969年)
 ●5月15日に台湾の戸籍業務を段階的に警察機関の管轄に移管する「戡亂時期臺灣地區戶政改進辦法」が公表され、7月1日に執行。

 見ての通り、警察機関(太字)は度々登場しているが、民国50年(1961年)以降主の運用は家族計画にシフトしていった。それまでの家族計画と人口管理の項目はかなり煩雑しているので筆者は翻訳を割愛したが、民国58年(1969年)に注目してほしい。その年の5月15日に台湾の戸籍業務を段階的に警察機関の管轄に移管する「戡亂時期臺灣地區戶政改進辦法」(※4)が公表された。それが7月1日に執行され、そして4年後の民国62年(1973年)に戸籍業務は正式に警察機関の管轄になったのだ。

台湾に野党が無かったの、知ってた?

 台湾に限らず、大勢の人々を巻き込んだ歴史極めて複雑で、いくつもの捻じれが生じるものだ。民国49年(1960年)に台湾で「中国民主党」の成立を目指し元国策顧問の雷震氏が逮捕された。中国共産党との戦いに専念したい中国国民党は、最後の砦である台湾のなかでの新たな政党成立を許すはずもなかったようだ。しかし台湾に移転した中国国民党(蒋介石)政権がついに民国60年(1971年)に国連から除名され、民国67年(1978年)にアメリカが中国共産党政権と国交成立など、中国国民党政権が国際社会で大きな逆風に立たれていった。

 そして民国68年(1979年)、台湾では野党設立を目指してきた活動家が大勢逮捕される代表的な事件「美麗島事件」(※5)が起きた。それを経てなお、台湾初の野党「民主進歩党」が設立されたのはその7年後の民国75年(1986年)だった。さら6年後、台湾の李登輝政権期間中の民国81年(1992年)の5月、行政院が「戶警分立實施方案」を検討し、同年の7月1日、戸籍業務がついに民政機関の管轄に戻された

「中国国民党」と「民主進歩党」の競り合いの歴史

 台湾初の民選総統(民国77年(1988年)選出)李登輝政権を経て、野党だった民主進歩党の初めての総統の陳水扁氏が民国89年(2000年)に当選した。その後一度は連任して8年間の任期を終えたあと、マネーロンダリング疑惑で逮捕された。民国97年(2008年)の総統選では中国国民党の馬英九氏が民主進歩党の候補謝長廷氏を下し当選し、四年後には民主進歩党の蔡英文氏を下し連任した。民国105年(2016年)に民主進歩党の蔡英文氏が中国国民党の朱立倫氏と親民党の宋楚瑜を破り当選して、その四年後の民国109年(2020年)に最大のライバル中国国民党の韓国瑜氏を破り、連任して今に至る。

 余談だが、台湾人漫画家韋宗成氏が民国87年(2008年)と民国105年(2016年)の総統選の過程と人物を巧妙にアレンジしたギャグ格闘マンガ『馬皇降臨』『覇海皇英』を発表して、国民的人気を得ていることから、現在の台湾の表現の自由を物語っている。

「国民身分証明書」の進化!

 さてここで、話を台湾政治の略史から「国民身分証明書」に戻したい。民国60年(1971年)以降、家族計画と人口バランスコントロールのための運用がほとんどだ。その間「国民身分証明書」の情報の正確性と偽造防止の性能を向上させるためのリニューアルが重ねられた。

 以下、台北市大安区戸政事務所の公式ページ「國民身分證沿革」より一部引用し、翻訳した。

民国54年(1965年)
第2回国民身分証明書全員リニューアル(3代目国民身分証明書)
●ページが片面のみになり、大きさが半分に。
●男性が浅い緑色、女性が浅い赤色に。
●血液型と家のなかでの順位(長男、長女など)が追加される。
●民国58年よりパソコン管理の導入で出生届した瞬間から統一編號(マイナンバーのようなもの)が与えられる。
民国65年(1976年)
第3回国民身分証明書リニューアル(4代目国民身分証明書)
●偽造防止の強化。
●口號が廃止され、統一編號(マイナンバーのようなもの)のみになる。
民国75年(1986年)
第4回国民身分証明書リニューアル(5代目国民身分証明書)
●身分証明書の経年劣化及び容姿の変化のために行われた。
●持ち運び便利のためにさらに小さく。
●男は浅い土色、女性は浅い桃色に。
●記入事項が減らされる(血液型、学歴などがなくなる)
●写真を大きく、出身地を追加など。
民国94年(2005年)
第5回国民身分証明書リニューアル(6代目国民身分証明書)
●耐久性と偽造対策の大幅強化。
●男女色統一。
第7代目国民身分証明書(個人認識チップ入り)は2020年10月に発行予定。

 セキュリティ面の強化は、この「国民身分証明書」の重要性を物語っている。その1枚だけで「その人の全て」と言っていいほど情報量がリアルタイムに書き込まれる日もそう遠くはないようだ。

国民情報管理システムを考えたことある?

 マスク購入制限のほか、海外渡航情報の管理など、新型コロナウイルスの感染拡大を封じ込むのに、国民情報管理システムの運用が大きな役割を果たしている。それを運用したのは民国105年(2016年)に誕生した現蔡英文政権だが、台湾の国民情報管理システムそのものは戦後から存在していることはお分かり頂けただろう。国民情報管理システムが「運用に耐えうるもの」になるまで長い年月(と歴史事件)を要したということだ。

 民主進歩党が民国89年(2000年)に初めて台湾の政権を手に入れた後でも、民国97年(2008年)に選挙を経て中国国民党が返り咲きしていた。政党としての民主進歩党にはまだまだ克服しなければならない課題がたくさんあったということだ。民国105年(2016年)に再び政権をとった蔡英文政権が、民国109年(2020年)連任後に新型コロナウイルスを柔軟に対処できたのも、為政者の能力と政党そのものの若さに原因があると筆者は見ている。そしてその背景には約80年間の運用歴史を持つ国民情報管理システムがあるのだ。

 世界的見ても、新型コロナウイルス感染拡大を封じるのに、台湾は素晴らしい成果をあげている。しかし、台湾の施策を称えるためにも調べなければならないことが多く、意外と骨を折るが大事なことだ。成功から役に立つものを見出すのに、「今起きていること」だけではなく、それまでの事象に存在するものとの因果を見極めることが大事だから。

※1
台湾の衛生福利部中央健康保險署はマスクの着用について「マスクを必要とする対象に届くため、着用は医療機関で受診またはそれと同伴する場合、入院患者と面会する場合、または呼吸器疾患持病者に限る。健康な一般民衆と学生は必要ない。」という見解を発表している。(『衛生福利部中央健康保險署』公式お知らせ2020年2月4日「口罩實名制2/6上路 健保特約藥局哪裡有?數量剩多少?」(中国語)本文最後より。)
※2
民国とは1912年を元年としてスタートした台湾で使用されている年号。なお混乱を避けるため、この段以降、民国と西暦を併記する。
※3
戦後すぐに台湾入りした国民政府と、日本領で生活してきた台湾の人々とのイビツは1945年から発生し、さらに中国国民党による虐殺が1947年の2月27日~5月16日に行われたのは、「二二八事件紀念基金會」(中国語)の公式見解である。
※4
中国国民党が台湾に撤退した後の1949年に戒厳令として「動員戡乱時期臨時条款」を発動し、1987年に解除された。(『フォーカス台湾』2017年7月15日「<台湾>戒厳令解除30年 独裁体制から民主主義へ/下」を参照)
※5
「美麗島事件」とは野党設立運動を行う知識人たちの多くが逮捕された事件である。のち台湾初の野党・民主進歩党の設立にも影響を与えている。(「吳三連台灣史料基金會」《美麗島事件30週年研究論文集》序文(中国語)を参照)

その他、全情報ソースと引用先

「衛生福利部疾病管制署」公式ページ(最終閲覧日2020年5月7日)
●『TAIWAN TODAY』2020年4月20日「軍艦「磐石」の実習生・軍人、合計24人が新型コロナウイルス感染」
「衛生福利部中央健康保險署」公式ページ(最終閲覧日2020年5月7日)
台灣口罩庫存查詢 - 口罩實名制、藥局查詢、即時庫存(マスク販売情報アプリ(アンドロイド用)ダウンロードページ) (最終閲覧日2020年5月7日)
●『TAIWAN TODAY』2020年2月24日「健康保険カードに全ての海外渡航歴注記へ」
●內政部戶政司『戶政百年回顧』(內政部戶政司、2012年)P3~8
「二二八事件紀念基金會」(最終閲覧日2020年5月7日)
●『フォーカス台湾』2017年7月15日「<台湾>戒厳令解除30年 独裁体制から民主主義へ/下」
●「吳三連台灣史料基金會」《美麗島事件30週年研究論文集》序文(最終閲覧日2020年5月7日)
『馬皇降臨』公式ページ(最終閲覧日2020年5月7日)
『覇海皇英』公式ページ(最終閲覧日2020年5月7日)
●「臺北市大安區戶政事務所」「國民身分證沿革」(最終閲覧日2020年5月7日)

※2020年5月7日の21:26に文法の一部を修正した。内容に変わりがない。
※2020年5月8日00:23に『戶政百年回顧』年表内容に追記と翻訳を追加した。

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