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それでいいんだ から それがいい へ

なんだかなぁ
言葉って難しいなぁ

言葉って言うかオトかな
振動 バイブレーション

どれだけ正しい事を言っていても
オトが濁っていると
やっぱりイヤなんだよなぁ
例えそれがフリだったとしても
その時発せられているオトは
重くて聞いてられない
ザワザワする クルシクなる

それがその人の全てではない
と 分かっているけれど
その場は離れちゃうかなあ

それは逃げだ エゴだ とか
言われたとしても
心地よくないもんなあ
心臓が ハートが ぎゅぅーっとしちゃう



気持ちいいなー 心地いいなー
って感じてる時は
身体ゆるんでて 息通ってて
ふぅ~って感じだから

身体が委縮しちゃうことは
したくないし 離れたいなあ

やりたくないことはやらない
とも ちょっと違うのだけど

やりたい事のための
やりたくないこと ってのもあるし
それだとやりたい事のためだから
単なる経過のひとつで
やりたくないこと には入らない
それやれば 
やりたい事に近づくと思うと
むしろ嬉しくなっちゃったりするんじゃ
ないのかしらん

そのときは
身体も委縮はしないんじゃないかな



そうではなくて
今のココロと離れてしまっている事を
無理に 〇〇だから とやろうとすると
身体は ぎゅっと縮こまって委縮しちゃう

それは観方を変えれば
今は必要ない事 とも言えるから

だから とりあえず離れちゃう

自分の出来事 として受け取らない

それでもそれが必要ならば
また違う形でやってくるから
だから大丈夫

離れたら離れたで
それがその時の最善でベスト



何となく こうすればいい と思って
そうなんだーと調べたり聞いたりせず
取りあえずやっていた事が
後から何らかの形でそれでOKだったと
知らされることがあったりして

そうやって
内側からのコエは合ってるよー
それでいいんだよーと
確認作業になっている

そういう小さいのが積み重なって
内側からのコエの信頼を
自分の中で育てていくような

あ それでいいんだ と
気づきを深めていくような
そんなお楽しみ



10月に入って
またお水さんが柔らかくなって
私にとってこれは
ひとつの切り替えのサインみたいで
要所要所でそれが現れる

お水さんなんて
もともと柔らかいものなのだけど
何とも言えない感覚で
あ 変わった と分るもんで
だいたいは
洗いあがった洗濯物を取り出すとき

たかがお水さんなのだけど
でも人の体も大部分が水分だし
地球も多くが水だし
空気中にもあるし 変化自在だし

記憶媒体でもあるし
不思議でありがたい存在



秋がいっぱい見つかって
うれしい が弾けちゃう

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。