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モノゴト通して感じてるのは

所用で途中駅下車する。久しぶりに降りたなぁ。毎日通過してる駅なのに降りると違う景色なのが不思議。

用事を済ませ道端へ出る。ふむ。あっちとこっち、空気感が全然違う。ここら辺は結構好きで、まだ違うところに住んでた頃わざわざ来ては街中ぐるぐるお散歩してた。
そう、私が好きなのはこっちの空気感のほう。このあと予定ないしお天気ポカポカだからちょっとぶらぶらしてみよう。

お外で時間がある時、ふと立ち止まってみる。くるりとまわりを見渡し、その時の自分がどちらへ行くのが好みか感じてみる。面白いものでなんとなく「こっち」というのが出てくる。これやってると結構自分の感覚澄んできていい。

今日選んだのはまだ通ったことない道。キョロキョロしながら空気感感じながらゆっくり歩く。路地があるたびどっちが好みか感じてみる。3つくらい路を変えたとき、そう言えばお腹空いてきた。ランチタイムはそろそろ終わる頃。どこかで食べて行こうかな。お持ち帰りでもいいけどな。

ちょっと先の角に店らしきものがある。なんとなく気になる。なんのお店だろ?
ほーっ、定食屋さんだ。お外の看板メニューも好みだなぁ。店の外観とかもあるけど、外に置かれてるメニューとかで結構店の雰囲気分かったりする。書かれてる文字とか言葉とか。
メニューの内容がその時食べたい物かはもちろんだけど、初めてのお店なんかは貼られてる物とかそういったので「なんとなく」をはたらかせたりしてる。お客さんや提供してる物事に対しての感じがそういったものに現れてる。

うーん、ここ絶対美味しいなぁ。入っちゃえ。
ランチピーク過ぎてたので空いててラッキー。3択くらいまで食べたいの絞れた頃お店の人が来たので「今日のオススメありますか?」と聞いてみる。初めてのお店だから何が推しなのか分からない。オススメは印刷メニューの脇に手書き足しされてるお刺身らしい。お魚強いお店なのかな? 刺身かーと思ってたらメカジキフライも今日はオススメで、ボリュームあるから量少な目ならお刺身とのセットがあると教えてくれる。
じゃ、それで。お刺身あまり食べないけどまっいーか。あれ?さっきの3択どこ行った?

ほどなく来たメカジキフライとお刺身定食。ありゃー、お刺身あなどってましたわ。タコ・ホタテ・ネギトロ・ぶり・赤身・マグロ・サーモンあともう2種類くらいあったかな。一切れずつが綺麗に並んでる~あはは、私の知ってる定食の刺身は3種類くらいだぞ。しかもメカジキフライは分厚いぞ。大丈夫かー採算とれてるのかぁ?
余計なこと心配しつつ頂いた食事はお味噌汁までぜんぶ美味しくご満悦。
何がいいって、お店の方がめちゃ感じいい。常連さんらしき方々が来たときの対応、言葉、片付けてる時の感じ。私みたいな一見(いちげん)さんへの対応。観光客来る場所じゃないからそういったのも雰囲気として出るものだけど。入った時から相手構わず同じ心地よさで接客されてる。しかもそれがマニュアルで訓練されてるからとかではなく(入ったのは個人店だったし)全てがその人達から出てる自然体。すてきー。こういったのに巡り会っちゃうと「私の勘スバラシイ!」と自賛すると共に自然のご縁に感謝したくなる。


好きなお菓子があって。正確にはその創り手さんが好きで。パン屋さんで働いていたその方が好きで時々お話ししたりしてた。お辞めになるとき実はパティシエでお菓子作りが専門だと知り、店は持たないけど販売はしていくつもりと聞いていた。超自然体の彼女が作るお菓子を食べてみたいなと思っていたら偶然販売機会を知り食べ、それ以来彼女の創るお菓子のファンだ。タイミング合わないと買えないので、スイーツ食べたくなったらお散歩範囲内の好みの店でここしばらくは買っていた。そこの店のもとても美味しい。
先日彼女のスイーツを買うことが出来て久しぶりに口にした。
うん、美味しい。でも最近買っていたお店の美味しさとまた違う。
彼女の創るお菓子たちは、何というか食べるとふわぁーっとチカラが抜けるのだ。身体がゆるむ。安心する。ああ、彼女の人となりが出てるなぁと感じる。相変わらず真っ直ぐに食材に向き合って心込めてひとつひとつ創ってるんだな。それがお菓子たちに出てる。「食べる」を通して直接会っていない私たちを元気にしてくれる。すてきだな。

多分これは私が彼女を知っているからということではなく、そういった創り手の何かしらは現れると思う。お野菜でも何でも私はそれを感じる。で、そういうモノは量が要らない。少しで満足する。だから多少お値段高めだとしても同じなのだ。大量生産や機械的な物はそういった満足感少ないから量がいる。本当にその物にエネルギーが注がれてると不思議なくらい量は必要ない。一度そういったものに出会い感じると、その違いに驚く。安かろう悪かろうとは言わないが「高いから」だけで視野から外してしまうと勿体ないなと思い、そういった物に出会ったらその時無理ない範囲で感覚が合うほうを迎え入れるようにしてる。そうすると結局自分が喜ぶ。
自分が喜ぶのがいちばん嬉しい。
自分が喜ぶのが何かを知るために、感覚澄ませているのかもしれない。もっと自分を喜ばせるために。楽しませるために。



帰りがけ電車降りると向こう側から花束が目に飛び込んできた。小さな可愛いブーケ。
お?と思い目をあげると、会社の作業衣のまま片手に大事そうにその花束を持ち、穏やかで嬉しそうな顔の青年が向かってくる。
彼はこれからあの花束もって電車に乗るのか。きっと彼に気付いた人はあの穏やかな幸せ感をお裾分けしてもらうんだろうな。
想い描いた私もなんとなく嬉しくなり。


たくさんの偶然が楽しませてくれ幸せな気分を味わせてくれる。
些細なことであればあるほど「お!」となり、見つけたこと自体が嬉しくなる。

今日も愉しく
ステキな日。

そう思えない日も
そう思えてない自分だったわと
それがステキなことでヨシとする。

ぜんぶヨシ。
お気楽さんで。

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