わかっちゃいるけどさーなのねん piece_vol.72
重い腰をようやく上げて片付け第一段をやった。今日は衣類と大まかな雑貨類。
衣類は季節の入れ替えごとに減らしたりしてるのだけど、だいぶコンパクトになってきて入れ替えせずとも済むような位になっていたからまだ手を付けてなかった。
片付けとかルーティーン以外の掃除とか、嫌いではないのだけど普段はやらない。で、荒れ模様にうぎゃーと自分がなってからやることが多い。やり始めると止まらない。ずーっとやってる。特に細かな地味な掃除、鍋を磨くとか1つ始めると別のも気になって結局気が済むまでずーっとやってたりする。
やり始めると止まらないというのを知っているので、普段はあまりやらない。変な話だけど。
でも今は違う理由であまり好んでやらなくなったっぽいのを、今日片付けながら改めて感じた。
どうやら「出来ない」のを身に染みて感じるのが嫌らしい。
以前出来たことが出来ない、やってる途中ですぐ疲れる、などなど。身体の都合だから仕方のないことと解っていても、物の移動とか細かな分類作業とか、以前はあっという間に終わっていたことがやたら時間がかかる。ここをもうちょっと綺麗にしたいのに、パワー不足で出来ない、とか。
そういった、以前出来ていたという記憶がぶら下がり、「出来なくなった」を嫌でも目の当たりにするもんだから、それを感じるのが嫌だったんだなーと改めて思う。
もうこれは何回も何回も訪れてはヘタレてる。年齢と共に体力とか落ちていつの日か「無理がきかない」と諦めるってやつの先取りバージョンみたいなもんだ。
幾ら「出来てるという事に目を向けましょう」なんて言われても、その日の体調良し悪しで洗濯物を干すのに洗濯ばさみが開けないとかあると「ふぅー、、」となってしまう。そんな綺麗事言われても出来ないもんは出来ないんじゃーっ!となる。出来てることに目を向けても、洗濯物は干さないと乾かない。
それでも、なんだ。
それでも。
「出来ないことに苛立つ自分」がいて、「出来なきゃいけない自分」があぶり出されてくる。
ああそうか。「出来ないのがよくない」とは思ってなかったけど、「自分は出来なきゃいけない」とどこかで思ってたのか。上手くやらなきゃいけない、ちゃんとしてなきゃいけない、出来てないといけない。
もうこれはまるっと幼い頃のインプットで、思い当たる節がある。違う角度からはクリアにしてたけど、まだ別の角度があったのねん。
とこんな風に要らんものがプカプカ浮いてきたりする。「嫌だな」と思ってたりなかなか腰が上がらない物事は、何かしらのお隠れものがあるらしい。きっとそれがあるのが分かっているから分かっちゃいるけど「気が乗らない」となったりするんだろ。
面白いな、と思う。
表面上は「身体が思うように動かない」が嫌なことで。だから片付けとかしたくないのだと自分では思ってる。
それももちろんあるのだろうけど、もうひとつ奥にはまた違う思いが絡んでたりしてる。そうなると、果たしてこの動きの鈍くなった身体は、そういった奥の奥の思い込みを思い出させるために仕掛けられてるものかしら?とか思ってしまう。
もしそうなのであれば。そういった出さなきゃいけないものを出し尽くしたとき、この身体はどうなるんだろう? 今出来ないことも出来るようになっちゃったりするのかしら?
そうなんだとしたら。
なんて厄介な仕掛けだとは思いつつも、少しは希望というものが見えてくる。そしてこれが他の病にも少しでも当てはまる部分があるのだとしたら。どれだけ気持ち的に救われる人がいるんだろう。だって自分次第でどうにかなる部分が出てくるんだもの。
そういった意味では、自分の身体でモニタリング出来るのでこの身体で有り難いなと思う。
でも今までの数年をみても「病は気から」は遠からずあると思ってる。病気は気の持ちようとかそんなアホらしい事ではなく、精神的な部分や心、思いや感情らがリンクはしていると感じる。感じるから実践して変化をみてる。
こうなるともう病ですら「ありがたいこと」になっちゃうから笑ってしまう。
自分の中では病気という肩書きはだいぶ前に外しているので、普段の生活でそれほど意識は向いていない。でも今回の片付けらや明らかにそうであると見せつけられるものに対すると、まだまだいっぱい出てくる。身体に絡んでくることはそう簡単にスポッ!とは抜けないらしい。そりゃあそうなるまでにそれなりの事なりがあってのお出ましだろうから、そりゃーそうだろう。
私の時間は、たぶん他の人よりゆっくりだ。それが今の私の時間の流れ方だ。
で、以前の速い流れを知ってるもんだから時々うぎゃーとはなるけれど、結構このゆっくりさも気に入っている。ゆっくりになったからこそ観せてもらえるようになった物事も沢山ある。どれがどっちがいいかなんて分からない。
分からないから、
それでいいんだと思う。
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。