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空っぽなれど全てであり piece_vol.56

「言葉」も「知識」も私のものじゃないんだよなー。確かに私の口から発せられてるし文字として書いてるし私が知ったり経験体感したりしたことしか現してはいないのだけど。

「言葉」はそもそも知識として得たもので。もともとどこかにあってそれを見たり聞いたりして自分の中で増えていったもので。
私は幼い頃から本に馴染みがあってたまたまそういう環境で、一時期は自分で活字中毒と認識してるくらい色んなもの読みあさって、ジャンル問わず図書新聞雑誌問わず読みまくってた時期があるから、多分いま出てくる言葉や文章はそれらが元になって組合わさり出てるのだと思う。

人から出てくる「言葉」はその人の知識経験で彩られるから、マンガ漫画アニメが好きな人はその類いに紐付いて出てくるだろうし、古典が好きならその中で使われてる言葉や文字、専門的分野に突出してる人ならその分野でよく使われてる言葉とか。
表現方法も然りで、それまでの経験で得たものに、その人の個性や感覚が融合されてその人しか現せないものとして出てくる。

「知識」も結局はもともとどこかにあったものを「知る」わけで。そこに「言葉」が合わさって、まるで「私が知ってること」のように話してるけど、よーくよーく考えると、確かに私という個性の彩りを通して現されてるけど、別に「私のもの」ではないんだよなあ。もともとどこかにあったものを吸収して出してるだけだから。「知らない」事は出てこないし出せないし。

私のものではない「言葉」や「知識」を、まるで私のものであるかのように感じ行動してるんだから不思議だよなあ。
「私が知っている」という視点を外せば、単にこの身体を通して言葉や知識が現れてるだけで。空っぽ。
で、その「言葉」や「知識」もこの身体の中にきゅうぎゅうに詰め込まれてる訳ではなく、必要なときに必要な言葉や知識がどこからか湧いて来てまた消えていく。私が常に持ってるわけではない。

常に持っている訳でもなくて、言葉や知識そのものがどこかにあったものをたまたま経験として取り入れただけなのなら、やっぱり私のものじゃないよねえ。「取り入れた」という"経験"は私個人特有のものと言えるのかもしれないけど「言葉」や「知識」は違うよねえ。
やっぱり「私」の中は空っぽだなあ。

この「身体」というものを通して入ってきて出てるだけなんだよなー。
まあ実際はこの表現も正しくはないのだろうけどややこしくなるから一先ずそこは置いといて。

「感情」や「思い」もあたかも自分が抱いてるかのように思えるけど、これも元は「経験」したことに紐付いて蓄積されたものだし、これらもこの身体の中に詰め込まれてる訳ではなく、いつの間にか現れていつの間にか消えている。
ってことは「私のもの」じゃないよねえ。

ひとつひとつバラしていくと、普段「私のもの」と感じてるものはなーんにも私のものじゃないのね。なのに一生懸命「私というもの」を成り立たせるためにそうであるかのように感じて過ごしてる日々の暮らし。

全部取っ払っちゃったら、なーんも残らんね。
からっぽ。

それでもこの「身体」は自分のものと思い、最後の砦を崩されないようアレヤコレヤと頑張ってはいるものの、そろそろそれも飽和状態になってるのかなあ。


「身体」というものも自分の意思でどうにか出来るものではなくて勝手に成り立ってくれている。勝手に成り立つというのはちょっと乱暴な物言いで、言い方を変えれば、自分には計り知れないところで成り立っているもの。

そうなるともう「生かされている」としか言いようがない。何一つとて自分というものは関与してない。

「生かされている」のならば。

まるで「自分が生きている」ように感じることができ、「自分は知っている」と思うことができ、それを「自分の言葉」として出しているかのように動いていられるというのは、ものすごいミラクルで不可思議なことじゃなかろーか。

そしてその事に疑問すら思っていない。

家にある花瓶の花は、私が「生かしてる」のだろうか?
私は水を替えてるという"経験"をしてるだけで、花を生かしてるのは水や空気や太陽の光だ。
自分が何か「生かしている」ものなんてあるだろうか?
全て水や空気などの自然に在るもので巡り生かされてる。そしてその中には「自分」も含まれている。森羅万象の一部。

森羅万象の一部として生かされているのはこの「身体」。

「自分」というものには、何もない。
空っぽ。

何ひとつ持っていないのに「自分のもの」とし「自分が生きてる」と感じ成り立っているこの世界の不思議さ。


「生かされている」という
とてつもなくひろい懐のなかで
「生きている」という
ヨロコビの遊びをすることができている


生きている と実感できるのは
生かされている から

「自分が」という
その「自分」さえ
全ての大いなるもののなかに含まれてる

この

不可思議なセカイ


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