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みて みてないのかもしれない

見えないものに
どれだけ支えられているのだろう。
発酵水で淹れたコーヒーを飲みながら
ふとそんな想いが浮かんできた。

空気 風 光
微生物 菌 細胞
臓器 血液や体内の働き
電波 音波 氣
引力 重力 エネルギー

眼で見えてる物質は5%位だと
どこかで見聞きしたとき、
じゃあ殆ど見えてないじゃん!と
その時思った記憶がある。

意識せず呼吸はしてるけど、
空気は見えてない。
風は感じるけど、
そのものだけでは見えてない。

この身体の中に臓器があり
それぞれの働きで成り立っているのは知っているけど、自分のその物を直接見たことはない。
ましてや細胞なんて教科書の世界だ。

土の中にはものすごい沢山の微生物がいて
それらのお陰で豊かな土地になる事は知識としては知っているが、顕微鏡ででも見ない限り普段は見る機会はない。

スマホやPCにお世話になってるけど
電波を気にするのは繋り悪い時くらいで
音楽聴くけど、聴こえてるのは振動のおかげとか気にして聴いたりしてない。

重力がなければこの地に立っていないかもしれないし、引力のお陰で満ち引きがある。

殆どが、見えないもので成り立ってるんじゃないのだろうか。
何を見てるんだろう。
何で、「見えるもの」を信じようとするんだろう。
見えないものはナイのだろうか。
だって、心だって感情だって見えないけれど
アルと思ってるんじゃないのだろうか。

何を 忘れてしまっているのだろう。

何を 信じているのだろう。


楽しい
嬉しい
平和
安心
心地よい
幸せ

みなが本当に望んでいるものは
すべて
見えないもの
ではないのだろうか。

何が見えていて
何が見えていないんだろう。

見えているものに右往左往するけど
本当に望んでいるものが見えないものならば
眼を向けるのは
見えるものに隠れてる
見えないもの
ではないのだろうか。

いま
何が見えていて
何を観ようとしてないのか。

みえないものに支えられていて
それらのお陰で在るのならば

せめて
ナイけれどもアル
ということを
どこかで感じていられるよう
そう在りたいなと
想ってみたりする。


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