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すべての物事は本質的に、常に新規(新規参入)が必要である

題名のことを思いついたので整理しておきます。極端に少子化すれば子孫が絶えて、絶望するよね~。新規参入が必要。それぐらい当たり前だろって話なんですが、もっとすべての事象において、新規の存在が必要不可欠であることに気づきました。細かな論証を結合するので複雑です。








主観的判断と客観的判断

世の中には大衆受け、王道、ベタというようなポップの領域があります。ラーメンの作り方を知らなくても、音楽理論をしらなくても、心や直感でなんとなくこれがいい!と判断できる。一方で、数学や科学や、ある理論技術体系というディープの領域があります。数式や理論を突き詰め練り上げて最適解のこれがいい!とも判断できるわけです。

なぜこの2つが生まれるのかといえば、それは人間が主観(感性、心、直感)と客観(理性、思考)の2軸で並列判断処理をする生物だからです。

何故2種類の処理方式かといえば、生物から始まり知性を得たプロセスのせいでしょう。生存には、考えるよりも先に早く動くことが必要な時も多々あります。なので直感の即時判断の方がセンサーとして生存に有利な時もある以上、生物の名残りとしてずっと残り、当分これはなくならないでしょう。

万が一、AIや処理力増強の後付けデバイス等で、客観の問題処理速度と処理コストが劇的に改善されれば、直感判断はこの世からなくなるかもしれません。しかし、まぁ生物は無駄を省きたい(面倒くさがりな)ので、曖昧でもお手軽なそこそこ正解処理(直感)は残ることでしょう。





表層のポップと、深淵化するディープ

人間は、興味がなかったり、その場しのぎの事程、直感的な処理をしがちです。一方で、興味がでてくるものほど、詳しく知りたくなって、知った知識で説明しようとし、それはどんどんより複雑なモノへと深堀されていきます。

例えば、どちらのお店で買ってもいいじゃん。5円位しか違わないし…と思う人は、なんとなく雰囲気が好きなお店を選ぶことでしょう。一方で、細かいお金や時間にうるさい人は、その拘りでもって、○○だからこの店を選んでいる!と言うことでしょう。このポイントの貯め方が一番お得である等々、ポイントのお得知識が積み上げられてより複雑な判断をします。つまり、拘ることほど、どんどん深堀されてディープになっていくということです。これは、別の心理学?の言葉として、中心思考、周辺思考とかいう言葉で説明されていた気がします。

少し角度の違う話になりますが、関連する現象があります。接触頻度と好感度の話です。±0の状態で、あるCMや紹介を見続けていると、接触回数の増大に応じて、”気になってくる”という現象がある。一方で、嫌いだ苦手だの-の状態で、そのCMや紹介を見続けていると、ますます嫌いになっていくという現象があります。何度も紹介されているうちに、世間でも人気があるのか?とか、有名なのか?とか、徐々に直感はなんとなくで流されて興味を持ちます。一方で、明確に○○だから嫌だ!という拘りの領域では、理屈で理論でありずっと明確に残り、嫌なことを繰り返す相手をますます嫌いになるということです。






逆三角形の構造体と学習

こういう人間の思考や判断をまとめると、世の中の全ての構造体は逆三角形になります。上に行くほど、浅い直感的判断でついてまわるポップの層が多数いる。逆に下に行くほど、理論体系による深い複雑な判断で動くディープな層が少数いる。その人の興味の程度や環境で様々ですが、その人の潜りたい位置まで皆潜っていきます。

さて、潜るといいましたが、其処で行われいるのはいわゆる学習です。本題の新規参入云々に大きく関わる要因なのですが、こと学習において、暗黙知ほど厄介なことはありません。要は、そこまで細かくマニュアルに書かなくても常識でわかるでしょ。其処まで書いていたらきりがないよって部分ともいいます。

もっとわかりやすく言い換えれば、高校生に数学を教えようという機会に、小学生のかけ算はしっているものとして話すようなものです。人間のコミュニケーションの特性上、言葉や文字にしないといけないので、全ての知識の構造を1から伝えようとすると、かなりの時間がかかってしまいます。なので、”今話している知識”の支えの部分はいくつも省略されてしまいがちです。

逆に言い換えれば、人間の学習が成功するケースは、自らよりちょい知識が深い人の意見や考えを得る機会がある場合。あるいは、師匠やコーチのように一対一で、常に自分の至らない点をわかる深いところにいる誰かがつきっきりで特別指導するかのどちらかともいえます。





新規参入が必要

ようやく題名の件というか、結論に至る訳ですが、

以上より、人間の判断思考と、学習モデルの都合上、逆三角形の構造体を常に維持しないと、どこかの層で学習が途絶えてしまい、廃れる(大規模縮小する)ということです。

基本的に、師匠やコーチのようにつきっきりで教えられる教えてもらえる機会なんて、人生そうありません。親と子供の関係か、莫大なお金を積んだとしてもトップ層になりたい金持ちのどちらか(家庭教師みたいなもの)しかありません。なので、ちょっと上から教わるが基本になります。

なので、新規参入がないと、仮にその人にポテンシャルがあったとしても、断絶した層のところで止まってしまいます。独学やらで地道に潜っていく人も中にはいるかもしれませんが、なかなかにシンドイ道です。

というわけで、町や市でも、企業でも、町内会でも、子供会でも、組織でも、活動でも、格闘ゲームやアイドルのファン層でもなんにでもいえます。ポップとディープの循環連鎖を意識して、常に新規参入をして各層を維持して、気になる人は下にもぐっていける環境を用意しておかないと、断絶している場所で、暗黙知によって、学びのストレスが激増して、それ以上進めなくなって、必ず徐々に衰退します。技術が廃れるというやつですね。





終わりに

別に廃れたって、それが自然の摂理だろう。伝統技術工芸品も採算がとれないんだったら、無理して補助金入れたりなんたらして延命しなくても、市場原理で自然に淘汰されたのだ。代わりに新しい何かが興るのだ。みたいな考えもあると思います。

しかし、子供は怪我するものだ。だから何もしないくていいと同じぐらいの暴論だと思います。ヘルメットやプロテクターや浮わやら。なにかを着けてみようと思ったり、つけておいた方が万が一の時に安全と知って実践することは、自然の摂理に反しているとは思いません。怪我が最小限になったりする場合もあると思います。わかっているなら最初からその本質を見据えて対策した方が良いとそういう話です。

まとめると、淀んだ水が腐るように、常に新しい新規参入があって、自然と抜けていく層もあって、潜っていく層もあって。その中で各細かな層でちょっと上を目指していく。こういう循環連鎖がないと本質的に構造体は衰退するという話でした。

別記事で書きましたが、
・本質的に物事は腐敗する
・変革者は常に外からくる
・新規参入が必要(本記事)

この3部作で、構造体の維持モデルは構築できた気がします。言い換えれば
・腐らせないように設計する事
・必要ならば変化できるような設計にする事
・新しい人を取り入れて、逆三角形を連鎖循環させる設計にする事

これを守ることができれば、その構造体は未来永劫、微妙に形を変えつつ、着実に前進していけると思います。


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