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お節介お説教おじさんおばさん現象。名言や名コーチやメンターとの違い

最近、自分が(note上で)お節介お説教おじさん化してきている。自らを痛々しく思いつつも、アドバイスや良い方向に導こうとしているんだと、自分は間違っていないはず!というもやもやを抱えている。お節介お説教おじさんについて整理してみよう。




お節介お説教おじさんとは

自ら培った人生経験や知識から、アドバイスをする人。それは失敗しやすい、こっちの方が良い道、振り返ってみればあれが良い道だったと教えようとすること。

と、そんな善意と優しさの行為のはずが、以下の条件を満たす程、お節介お説教おじさんと化す。



条件1 相手の前提条件と自分の前提条件を混同している

仮にどんなに優れたアドバイスであっても、全員に完全に合致するものはない。時代や人によって目的や状況や条件が様々あるからである。それなのに、結婚はみんな同じ、就職活動はみんな同じ、受験はみんな同じ、学校生活はみんな同じ、仕事は同じ。子育てはみんな同じ等と混同して、自分と相手を無意識に同一に見なしてしまうせいで生じる。ライフステージや人生で誰しもに訪れる出来事、体験や経験ベースの話について言及しようとしている時は、よくよく注意することだ。


条件2 その選択肢以外のあらゆる可能性を考慮できていない

条件1は完璧なアドバイスでも、時代や人で完璧にはなりえないという指摘で、条件2は、まっとうに見えるアドバイスでも主観や印象値が多すぎて、完璧に見えている自惚れだという指摘だ。条件1とも混合しながら生じる。

結婚や子育ては○○だ!男なんて、○○!、結婚するには、○○で上手くいく!就職氷河期だったから上手くいかなかったせいで、就職には○○が必須だ!等

試行回数が少ないライフステージの出来事で、かつ、自らの人生の大きな転機や、強烈な印象が残った出来事程生じやすい。つまりたった1回の成功や失敗ながら、その印象が強いせいで、これがダメだったんだ。これが成功の秘訣だ!と語ってしまう場合だ。他の様々な要因を考慮する必要がある。


条件3 相手が求めていない、相手の心が開いていない

自分で答えを考えている人に、クイズの答えを教えるのもアウトだろうし、答えを考えていない人に、答えだよと教えるのも、いきなりなりこの人!?になる。答えを求めている人に適切に答えを授けられる場合だけが、受け入れられる。

しかし、受入れ姿勢が整っていても、相手のスタンスや聞き取り能力も関わる。相手の心の開き方ともいう。

年や社会的地位などに囚われずに、話をきいてもらえるのか。経験回数や実績やらで聞く耳をもたないのか。親しい人からの言葉でないと耳を貸さないのか。様々ある。それを満たさないと、お節介やお説教になる。人の話を素直に聞けるのかともいう。




お節介お説教おじさんおばさんは悪ではない

お節介やお説教される側にしてみれば、迷惑な存在かもしれない。しかし、その存在や行為自体は本来、悪ではないはずだ。

お節介お説教が悪になるのは、アドバイスの通りにやるよう強制力を働かせたり、教え導くという行為で、優越感や自尊心を満たそうとする場合だ。望みとは違うことを強要されれば、誰しも嫌だろうし、上から目線や自慢話の話を聞くのも嫌だろう。さらにそれが長話ともなれば、尚更だ。

言わない自由、言う自由ともに肯定されるべきだと思う。悪意は論外だが、あえて教えずに黙っていることも肯定されるし。的はずれなことを言う無知ならば、その無知が露呈して、自らを戒め正しい方向に向かうことも肯定されるべきだろう。

聞く自由、聞かない自由もともに肯定されるべきだと思う。絶対参考にしなければいけないわけではないし、形だけ参考になります!!と言って全然違うことをしなきゃいけないのも煩わしい。聞きたい人は聞いて導かれて、ピンとこない人はちょっと今の自分には至りませんと、バッサリする、そしてそれを誰も悪いことと思わず肯定されるくらいがちょうどよいと思う。




名コーチやメンターとの違い

裏を返せば、条件2を十二分に備えている、要は教える引き出しが多い場合、多くの理論や経験に裏打ちされている場合は、名コーチとなる。騙されたと思ってこれやってみと的確なアドバイスをくれるわけだ。そして結果がでると共に信頼も増す。

条件1や条件3を十二分に満たしてる場合は、メンターとなる。誰よりも自分のおかれている今を良く理解してくれる、そして、自分が話を聞きたくなる(人により様々な)心を開きたくなる、外見的や性格気質的、社会的特徴等々を兼ね備えている場合だ。自分に寄り添い手を引っ張りながら導いてくれる、この人についていけば安心という信頼感がある。

尚、名言は、どの時代のどんな人にでもある程度刺さるかなりの抽象的な普遍性を持っているのであり、第一条件と第三条件をある程度満たすと成立する。



コーチやメンターと強制力

背中を押すとかしりを叩くという方法で、相手を奮い立たせてやらせ、そして結果や相手からの感謝がもらえるような展開もあるにはある。相手が望んでいない!ということでかなりなお節介やお説教の話である。

しかし、人間は結果がついてくれば、納得してしまう、終わりよければすべてよしな短絡的な生き物なので、事象としては成立しているけれども、あれもお節介やお説教に本来は属しているがそれが成功した例だと思う。




終わりに

自分でも何か、変な意識?思考で?誤りを抱いた気持ちでアドバイスをしていたと思う。その正体がわかつた。お節介お説教おじさんやおばさんにならないためには、条件1から3をよく意識して自制、自律しようと思う。

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