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(男女)平等や対等であるべきは、間違っているかもしれない話 ~ 平和の四類型 ~

男女差別の話ではないです。どちらかというと主権とはなにかという話です。


平等対等であるべきなのか

対等や平等であるべき。無自覚にそう信じていた。しかし、少し誤りがあると思う。対等や平等ということは、自分と相手が同列であり、相手と自分に自由な裁量を認め、互いに人格や主権をもっている状態といえる。こういうと聞こえがいいし、なんとも健全な状態のように思える。

しかし、裏を返せば、相手の絶対不可侵な領域を認めて、過度な干渉は内政干渉というか、勝手に入ってくるな!という話になる。

目に余る行為をされても我慢するか。指摘するしかできない。指摘(建設的なアドバイス)であっても、私のやり方に口出しするな!と言われてしまえば、文句と受け取られ、それが反撃ののろしや嫌悪感情になる。エヴァの人類補完計画みたいな話になってきたが、でも扱っているテーマとしては同一だ。人格があるから主権があるから、不可侵を作るから、争いが起きる。ならば、人格の境をなくしてしまおうがアニメの解答だ。

ファンタジーではない現実では、境をなくすことは出来ないので、対等や平等を崩すこと、再構築すること等々、主権について今一度考える必要があると思う。難しいのは個を認めないと、自由や自我がなく、しかし認めれば、いずれ争いとなる。この対立構造だ。はてさて・・・。





思考実験案

境を曖昧にする

何を言ってもいいし、何を言われてもいいし、何も聞かなくてもいいし、なにかを聞いてもいいし。人格や主権の境はあるが、その不可侵性を壊してしまえば、争いはなくなるだろう。柵はあるけど誰でも出入り自由のようなものだ。あるいは、白と黒だから争うわけで常にお互いが混ざりあい遠慮ない状態のグレーになれば、争いはなくなる。対等や平等ではなくて均一や解放と言った方が主権に固執しないですむきがする。


上と下を作る

絶対正義なんてこの世にはないが、擬似的にでも上位の存在を置く、トラブルになったら、なりそうならその上位存在が決議解決するという社会通念に変わるのもありだろう。

例えば、家庭なんかいい例だ。男と女のそれぞれに主権があるし偶数のせいで、主権同士がぶつかって争う構図になる。民事不介入という刑法の考えではなく、徳とか教えの観点で社会に主権同士のぶつかりあいを裁定解決する存在や機関があったらどうだろうか。あるいは最初から有能なものを上にして、下は部分部分では完全にしたがう位でいいのかもしれない。(役割分担)



同一価値観の人と連なる

互いに不可侵の場所が重なっているなら、そこを間違ってふみぬくことはない。大抵の人は、自分が嫌なことからは自分が一番避ける遠ざけるから。



ルールを作り、境界線を定かにする

線を越えて不可侵に入りこむと、争いになるのだから立入り禁止ラインを明確にする。というわけで、ルール作りをして、その運用を図る。ルール作りはその運用に不毛さ(複雑になること例外が増えていくこと)があるので、あまり好ましくはないが共通価値観が全くない場合には、最低限の簡素なルールで明確に運用すれば、不可侵を可視化して争いを回避できる。



まとめ 

こうして考えてみると、組織や国家間の、特に各家庭の平和の築き方の四類型になった気がする。

1、熟年夫婦、ヤンキー夫婦タイプ
2、役割分担、パートナータイプ
3、仲間、似たもの夫婦タイプ
4、ケンカすれ違い共同生活夫婦タイプ

ここで大事になるのは、相手と自分の平和の築き方のギャップだろう。3は元々そういう相手を選んでいるのでトラブルは少ないだろう。しかしそれ以外はなかなかに隔たりがある。1は言い合える信頼感系を構築していないのに、そこを目指しても途中でいさかいあう。登り詰める道中が不安定だ。2は、分担という仕事や処理能力の話になり、実務力を求められる。4は、多分一番危険で、最低限これは守ろう!みたいに最初はいうものの、多分守られないので秩序などあってないような常に内乱状態だろう。

どれかひとつというわけではなく各家族ミックスしながら平和を構築しているが、その割合やどこのポイントが高いかは事前に確認してもいいのかもしれない。



終わりに

主権や人格というものは本当にいるのだろうか。改めて主権という必要性などないきがする。既に意思や思考や感情としての個や主体は存在しているのだから、さらに日本人とか、日本とか名字とかにこだわるのも大して意味がない気がする。

やるべきこととやってはいけないことという作業や実務や課題にだけ焦点をあて、それができていなければ当然怒って良い、指導すればよい。タスクなんだから進捗管理も互いにすればよい。

で言いたいことは言い合えば良いのだ。聞いても聞かなくても良いし。従うも自由、従わないも自由。

同じ価値観の人と協力した方がスムーズなのだから、仲の良い人と協力して課題に取り組んだって良いじゃないか。それも自由。物事が前進して問題を解決出来れば良いのだから。

国も家族も企業組織もなんでも、主権や我や個を棄てて、自由に平和になれないものだろうか。

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